貝の文化に現れた概念(文様、形体そして色)
序章
(1)A shell of Spondylus regius:wikipedia
縄文早期より、関東から北海道の地域を中心に貝殻(二枚貝)で文様を施した「貝殻文」が現れました。BC7,000年頃の「帯広市八千代遺跡」からは、土器の底にくっきりと二枚貝が押圧された「暁式土器」が見つかっています。
(参照 函館市史・通説編・縄文文化の起源)
(102)暁式土器、縄文早期前半期、帯広市八千代A遺跡;帯広百年記念館・縄文土器ギャラリー
また縄文早期末から前期始め頃には「貝輪」の製作が始まっていたようです。「市原市埋蔵文化財調査センター」の「オオツタノハ貝」のレポートは「貝輪」の意味を明確に示しています。また、縄文晩期~古墳時代に南九州から琉球列島に現れた「貝文化」については、木下尚子教授の「日本列島の古代貝文化試論」が、その姿を教えてくれます。「渦巻きの概念」が強く現われた「南海産貝輪」と、「二枚貝」中心の、縄文時代に関東から東北に現れた「貝輪(特にオオツキノハ)」の対比は、「貝の文化」の本質に関わっています。
世界を見れば、旧石器時代より、「sea snail(カタツムリ型の海貝)」や「snail(カタツムリ)」をネックレスにした「shell jewellery」を女性が着用した歴史が、「貝の文化」の底流になります。数例の「shell jewellery」は「Ochre(ここでは脱水酸化鉄を含む赤い黄土)・オーカー」をかけられて見つかっています。「貝と赤」または「渦巻と赤」が「貝の文化」の底流にあるのです。
地中海世界の「貝輪」については、筑波大学・常木晃教授の研究があります。(The manufacture of Spondylus objects at Neolithic Dimini,Greece)
BC7,000年以前のハンガリー・「Koros Culture」(参照)では、神聖なものをまとめたPitsに「カタツムリの殻」が入っていました。
また、「Cardium Pottery・二枚貝の押圧文」,もっと広義に「Impressed ware culture」がギリシャ北西部の島や地域から、BC6,500~BC5,500年頃に広がりを見せています。北海道、帯広市「八千代A遺跡」から出土している「暁式土器」と同じ「貝殻文」などの文様です。
さらに、韓国で見つかっている「Shell Mask」も東アジアにおける「貝の文化」の重要なアイテムになります。
(2)Neolithic Shell Mask from Korea
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これらすべてを論理的に整理すると、「石の文化」、「編む文化」、「松の文化」に続いて「貝の文化」も「人類の概念と文様の誕生」を知る手掛かりになります。またそれら他の文化との整合性が重要です。
それでは、時間軸を大切に旧石器時代から「貝の文化」を論理的に整理していきましょう。