形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

フランスパン; ロデヴ(Lodeve)とリール(Lille)・二つのパンの物語(8)

 

フランスパンを作った 文化要因

ガーネット象嵌(cloisonne  de grenats)・4

 サルマタイ  スキタイ  サカ

 

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(55)スプンタ・アールマティ(大地の守護女神)とタローマティ(悪魔);1世紀第二四半期、金、ラピスラズリ、ガーネット、パール:アフガニスタン、ティリヤ・テベ2号墓:黄金のアフガニスタン図録

 

 

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(51)金製柄の短剣と装飾鞘(poignard dans son fourreau);金、ガーネット、カーネリアン、トルコ石・1世紀最終四半期;ウクライナ、ロストフ州、ダーチ墓地一号墳:L'OR des amazones,PARIS musees

 

 

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(52)金製短剣柄、金、トルコ石・1世紀第二四半期;アフガニスタン、ティリヤ・テベ4号墓:黄金のアフガニスタン図録

 

イラン語系遊牧民には、宝石を留める「石座(stone mounting)]に、二つの代表的な宝飾技術がみられます。アフガニスタン、ティリヤ・テベ2号墓で見つかった写真(55)は、その二つの宝飾技術が解りやすく使われているので、見てみましょう。一番目は「打ち出し(repousse')]で作る「石座(stone mounting)]です。写真(55)のスプンタ・アールマティ(大地の守護女神)の衣服と、タローマティ(悪魔)の胴体にみられる「石座(stone mounting)]です。薄い金を、プラスチックな素材の上に固定して、、「うち出し鏨(repoussoir)]で叩き部分的に沈み込ませて成型する技術です。金属のレリーフ的な表現によく使われる手法ですが、「石座(stone mounting)]作りに用い、さらに、石留めまで、同じ「うち出し鏨(repoussoir)]で行うのは、非常に珍しい技術です。

 もう一つの技術は、タローマティ(悪魔)の鬣や翼にみられる、厚板の「覆輪(bezel)]です。そしてこの「厚板覆輪(bezel)]の石留めは、厚い覆輪の断面を「うち出し鏨(repoussoir)]で叩き広げることで宝石を固定しています。つまり、イラン語系遊牧民(スキタイ、サルマタイ)の「ガーネット象嵌」と同じなのです。地中海文化圏での「覆輪(bezel)]は薄板で作り、側面を叩いて、宝石にかぶせて固定します。トルネイで見つかったキルデリクス(482死去)・(参照)の「ガーネット象嵌」は「厚板覆輪(bezel)]でイラン語系遊牧民の技術なのに対し、クロヴィスの「ガーネット象嵌」は「薄板覆輪(bezel)](参照)になっています。西ローマ帝国のソワソン管区(参照) に侵攻したクロヴィスは、ローマ人の工房と職人をそのまま用いた事が考えられます。このことから、宝飾だけでなく他の文化、すなわち、パンなどの職人も同じように用い、ローマの文化を吸収・融合したと思われるのです。

この二つの技術は、繊細な「炎」を必要としないことで、共通しています。地中海文化圏の、薄板の「ロー付け」は、ブローパイプによる集約的な熱のコントロールが必要なので、工房での繊細な作業になります。

もう15年位前だったでしょうか、私は幸運にも、この二つの技術に出会っていました。「日本・イラン友好協会」の実演企画に、イランの「うち出し(repoussoir)]と、「線条細工(Filigrane・Filigree)」(参照)が行われたのです。あまりにも珍しかったので、私はその場を離れられず、イランの「線状細工」の説明役と販売員に、勝手になっていました。

彼は薄く劈開したスレートを熱して、その上に「蜜ロー」を溶かし付け、比較的太い銀線で作ったパーツを配列して、「蜜ロー」に埋め込みます。全てが並び終わると、スレートごと針金で巻きパーツを固定します。そして、熱湯をかけて「蜜ロー」を流し去りました。軽く火にかけ、本体が乾くと、触媒を塗り銀ローを置いていきます。そして、スレートごと熱して、一気に銀ローを流しました。

一方、「うち出し(repoussoir)]は、「タール」と「土」を混ぜ合わせた「ヤニ」で、非常に大きい金属ボールを満たしていました。日本では「松脂」と「土」、「油」で「ヤニ」を作ります。大きい金属ボールと「タール」の保温力は「松脂」をはるかにしのぎ、長時間の打ち出し作業を可能にしていました。

「線状細工」の青年はイラン北部の町から来ていました。今からでも、イラン北部を取材すれば、古代からの金属工芸を見つけられそうです。ぜひ大学の研究グループに調査して欲しいです。

さて、これらの技術から写真(51)、(52)を見れば、両者の違いが良く解かります。

写真(52)はイラン語系遊牧民(スキタイ、サルマタイ)の二つの技術がそのまま使われている事が解ります。厚板覆輪の「ロー付け」は一気に流す方法でしょう。石留めも上から「うち出し鏨(repoussoir)]で行われています。ただ時間軸から見れば、当時の黒海北岸のイラン語系遊牧民(スキタイ、サルマタイ)の技術は、「厚板覆輪」から「厚板隔壁」の「ガーネット象嵌」に進化しており、この部族の技術は黒海北岸のイラン語系遊牧民(スキタイ、サルマタイより、同族の古い技術になっています。

 写真(51)の技術は、イラン語系遊牧民が用いる、「打ち出し(repousse')]で作る「石座(stone mounting)]なのでうが、石留めは、特に 腕部分のトルコ石とガーネットの石留めは、「薄板覆輪」の叩き方で、地中海文化圏の技術の様に洗練されています。ウクライナ、ロストフ州でみつかった宝剣なのですが、黒海沿岸のギリシャ植民都市はローマ帝国との戦いで疲弊しており、黒海北岸のイラン語系遊牧民(スキタイ、サルマタイもこれほどの技術は持ってなかったと考えます。

ではこの写真(51)金製柄の短剣と装飾鞘(poignard dans son fourreau)はどこでつくられたのでしょうか?

次回は表象や素材などの情報も精査し、考えてみましょう。

 

 

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(56)PAUL;パン・ド・セイグル

ライ麦80%、小麦20%のパン・ド・セイグルです。ライ麦の食感が楽しめるのに、ライ麦独特の風味はまろやかです。ルヴァン酵母なのでしょうか。混合物はラテン語で[Mixtus」、そしてライ麦と小麦の混合物は「Mistilium].,俗ラテン語(オイル諸語)のフランシア語からフランス語になり「Meteil]となり、ライ麦と小麦の混合パンを意味します。(現在ではライ麦50&と小麦50%のパンを、パン・ド・メティユと呼んでいるようです。)。ライ麦と小麦の混合パンの呼名がラテン語由来であることに、ソワソン管区(参照)での文化の融合を考えるのは私だけでしょうか?古来、色々な配合比率で楽しまれたようです。北ルートのイラン語系遊牧民のライ麦パンは、酸味の強いサワー酵母であったと考えれば、まろやかなルヴァン酵母の風味にもソワソン管区(参照)のローマ人職人を考えてしまいます。PAULのパン・ド・セイグルの味は、長い歴史の味なのでしょう。

 

 

 

 

 

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