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形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

トピックス(4)岡崎市・瀧山寺「鬼まつり」

 

瀧山寺「鬼まつり」(2)

 瀧山東照宮

 

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(4)瀧山寺鳥居;鬼まつり当日

 

瀧山寺に着いて、アレ? 石碑には「瀧山東照宮」と書いてあります。調べると、瀧山寺・本堂の右上に徳川将軍・家光が建立したようです。しかし、これでは「瀧山東照宮」ではないか、と思いつつ階段を上りました。

 

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 (5)階段の両脇に並ぶ「六角石灯籠」

 

この イオニア式「六角石灯籠」は花畑大鷲神社(参照)と同じものです。ただ違うのは「三つ葉葵」の徳川家紋が浮き彫りされていることです。これじゃますます「瀧山東照宮」じゃないか。

 

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(6)瀧山寺・本堂を取り囲む家紋入り「六角石灯籠」

 

かなりの威圧感を感じます。

 

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 (7)「三つ葉葵」

 

「三つ葉葵」は徳川家康より代々変化してますので。家光時代の「三つ葉葵」の資料としては役立ちます。それにしても、瀧山寺・本堂まで取り囲むとは、裏事情の予感がします。

 

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 (8)「瀧山東照宮」鳥居

 

 

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 (9)「瀧山東照宮」を取り囲み、乱立する「六角石灯籠」

 

「六角石灯籠」に圧倒されて、「瀧山寺」や「鬼まつり」の意味を忘れそうになりますが、「形而下の石」は存在します。鎌倉時代初期の住職・寛伝が源頼朝の従兄弟であったため、鎌倉幕府の庇護を受け、頼朝三回忌の追善のため作らせた仏像彫刻(運慶・湛慶作)が国指定重要文化財として残っています。「梵天・帝釈天.聖観音」の三体です。

「 羽子板、扇が導いたこと(9)」(参照)をご覧ください。仏教成立以前、バラモン教で「梵天」は「ブラフマー」、「帝釈天」は「インドラ」、「聖観音」は「サラスヴァティー」になります。「インドラ」が加わった三大神はBC12世紀頃からで、氷川神社より少し新しい時代のバラモン教の影が見えます。大化改新以後は山岳信仰として、この姿を守ってきたのでしょう。「燃え盛る炎」が「豊饒の大地」を守る、すなわち、「豊饒の大地の安寧」の儀式は仏教成立はるか以前にさかのぼります。あくまで、地域住民の「豊穣の祭り」として根付いたものなのです。

 

 

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 (10)瀧山寺・鬼まつり保存会紋

 

あれだけの「三つ葉葵」紋付きの「六角石灯籠」に囲まれても、瀧山寺・鬼まつり保存会紋は「 丸に笹竜胆」(まるにささりんどう)です。徳川家康の片腕として活躍しながら、小牧・長久手の戦い(1584年)の後に徳川家を出奔して豊臣秀吉に臣従した、「石川数正」の家紋です。徳川家康に仕えていた頃にこの地を納め、瀧山寺の復興に尽くしたことへの、住民による敬愛のしるしなのでしょうか。それだけなのでしょうか?.「 丸に笹竜胆」の表象は、「大地」に「後光=蛇」です。リンドウは万葉集でも「アサガオ」です。つまり、「後光」の形をした花はすべて「アサガオ」と呼ばれていたのです。「夜明けのゴルゴン=ゴルゴンゾーラ」(参照)は朝の顔です。「笹」も「後光」の表象です。「まる」は「大地」ですね。つまり、「石川数正」はこの寺の「縁起」に関わる家紋を使っていたのです。徳川家康も自身のルーツのため復興を望んだ瀧山寺、三代将軍・家光による「瀧山東照宮」の建立と、紋付き「六角石灯籠」の乱立の意味も頷けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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