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形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

フランスパン; ロデヴ(Lodeve)とリール(Lille)・二つのパンの物語(2)

表象文化史 ジュエリー文化史 装飾文化史

大地の恵み パンの表象(10)

 

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(31)PAUL;パン・ド・セイグル、パルミエ、アンシャン・ポール(左より)

 

「PAUL」定番のフルートアンシェンヌ、アンシャン・ポールを初めて一口食べた時、「Virn」のように、日本人の私がすぐに感じる「穀物のすっきりした、香ばしいうまみ」は感じなかった。(翌日、直火で炙って頂きました、中は変わらずにしっとりと重め、クラストは「Virn」のように香ばしくて、最高でした。)むしろ、アンティークジュエリーを買い付けに、ベルギー・ブリュッセルを拠点に,旅してた頃食べていた、重めのしっかりしたパンの味を思い出していました。日本で人気の[Boulangerie]と聞いていたので、アレ?と感じたわけです。でも、噛みしめるごとに「穀物」としてのうまみがしっかりしているのが分かります。そしてブリュッセルから東に行った、フランドル地方の古い町「トンゲレン(Tongeren)」を思い出しました。胸に懐かしくこみあげてくる想い出です。

ガリアの地を制圧したローマ帝国が作った「砦の町」、それがフランドル地方の「トンゲレン(Tongeren)」なのです。蚤の市(ベネルクス三国で一番大きい蚤の市)の業者が集まるレストランに入りました。レンガを高く積み上げた広い空間の上部にある小さな窓、薄暗い床には、見るからに丈夫そうな木製の椅子とテーブルが、無造作に並べられていました。まるで中世そのままでした。ワイワイ、ガヤガヤの混乱のなか、どうにか、肉とパンとビールを注文しました。そして、やってきたのは山盛りの骨付き肉としっかりしたパンでした。細かい味の事なんかは憶えていません。心と頭は、ヨーロッパ・中世へタイムスリップした楽しさで高揚し、笑い出したくなるほど、満たされていました。

同じ時代に、ローマ帝国との戦いに敗れ、ローマ帝国の傭兵となった フランク族(金髪碧眼の北海ゲルマン系)の砦として「トルネイ(Tournai)」が作られています。「トルネイ(Tournai)」と「トンゲレン(Tongeren)」は北ガリアで一番古い街なのです。

「PAUL]創業の地「リール(Lille)」は「トルネイ(Tournai)」からローマ帝国・ガリアの首都「スワッソン(Soissons)]へ南下する途中に位置し、フラマン系、すなわち、フランク王国に強いルーツを持つ土地なのです。フランスの母体となるフランク王国の成立過程は、フランスパンの成立過程と重なります。「PAUL」のパン、フランスパンの本質を理解するためには、フランク王国の成立過程を見ることが重要です。もう少し精査したいと思いますが、その前に2013年に書いたフランク王国についての文章を読んでみてください。「PAUL」のパン、特に「パルミエ」のルーツを考える時には、アンティークジュエリーの知識が、大いに役立ちます。

 

ジュエリー文化史;stone setting(石留め)参照   2011/10/18

 

何年か前にサン=ジェルマン=アン=レ-(Saint-Germain-en-Laye)の城に行ったとき、すごい数のバックルを見て驚いたことがありました。この城はルイ十四世が、1689年ヴェルサーユ宮殿に移り住むまで、王の居城であったところです。
「フランス王家の遺物の山とはこれなのか!」まぎれもなくそれはイラン語系遊牧民特有の鋳造と「Hammered cloisonne' setting」されたバックルだったのです。
またまた悪い癖で、私は妄想モードに入りました。
フランス王家のルーツはサリー・フランク族。
ただ隣に住んでいたフランク族は金髪碧眼の北方ゲルマン。サリー・フランク族、王家の特徴は黒髪長髪。
全く違う。
ではキーワードの「サリー」とは?
フランク族とサリー・フランク族との共通点は?
この共通点がポイントでした。両者ともローマの傭兵として有名なのです。ですから「サリー」はラテン語で読むべきではないか?
ラテン語で「サリー」はsalii=priests of Mars.
答えが出ました。
「ローマの軍神マールスの使徒」、つまりはローマの軍人たちです。

こんな話はいかがでしょうか?4世紀半ば、フン族に西に押されたサルマタイなどの遊牧の民はローマ領に入り、戦いに敗れてからはローマの傭兵になり ます。このとき前面で彼らと戦ったのは、同じく3世紀中ごろ北からローマ領に入り戦いに敗れてローマの傭兵となっていたフランク族でした。サルマタイを打 ち破ったローマの将軍・ユリアヌスによりベルギー・ケンペン地方を与えられたサルマタイなどの遊牧の民は、フランク族の隣人となり、傭兵仲間となります。 サルマタイは少人数ながらすぐれた乗馬術により、将軍直属の騎馬兵としてユリアヌスに従いました。そしてフランク族とは違うサリー・フランク族と呼ばれる ようになります。つまり「ローマの軍神ユリアヌスの使徒」と呼ばれたのです。ただ当時の資料にも大人数のフランク族の一部の傭兵として両者は混同されてい ます。その後、361年に将軍ユリアヌスが西ローマ皇帝ユリアヌスになってからもフランク族とサリー・フランク族は彼に従います。ここでも両者の区別は曖 昧です。多くの部隊に編成されたフランク族は西ローマ全域で戦い、力をつけていきます。このなかでも騎馬軍司令官の指揮下で活躍した古参の傭兵とヒスパニ ア司令官のもと活躍した「高速騎馬軍」の若者たちは、司令官直属の騎馬兵となったサリー・フランク族、すなわちサルマタイなどの遊牧の民であったと思われ ます。
こうしたなか、ローマの公式記録に書かれた初めてのフランク王・クロディオンは、5世紀半ば北ガリアで独自の動きをみせ始める。衰退するローマと自立を模索する傭兵の様子がそこには見られます。
このフランク王・クロディオンの王位継承に歴史の証人たちは明らかに戸惑っています。
クロディオン(金髪碧眼の北海ゲルマン)から王位を継承したのは黒髪長髪(イラン語系遊牧民)でメロヴィング王朝にその名を残すメロヴィクです。
あまりにも容姿の違う親子の説明に神話が作られます。(神話が作られるのはこのように、記録で説明したくない権力者の都合)
「あ る夏の日クロディオンとその妻は海辺にいたが、水辺に近づいていったこの妻は、ミノタウロスに似た海神ネプテューンに襲われた。そののち、それがこの怪物 のかあるいは夫のかは知らないが、彼女は子供を身ごもり、メロヴィクと呼ばれる息子を生んだ。このメロヴィクを通し、フランク族の王はメロヴィングと呼ば れるようになった。」(文庫クセジュ クローヴィス)
ずいぶん乱暴な神話ですが、こののち「サリー・フランク族」はなくなり、フランク族の王家は メロヴィング王朝を作ってゆくことになります。そしてこのメロヴィング王朝ゆかりの品がガーネットを「Hammered cloisonne' setting」したサンジェルマン・アンレ城のバックルなのです。

 

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(32)ガーネット象嵌ブロンズバックル(Hammered cloisonne' setting);5世紀                   Tressan     : Les Merovingens Histooire
 

 

 

 

 

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