形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

トピックス(8)ズールーの概念と編む文化(15) ・土器の文化(7)・石の文化(3)

 

             脚付土器(高坏)の意味

                     ハンガリー・ Koros-Cris-Cultureと宮城県、北小松遺跡

                 黒い神

 

 ブリタニカ国際大百科事典をはじめとして他の事典でも、「高坏」の意味を、縄文時代晩期から、またはギリシャ時代のキュリクスや古墳時代の須恵器に求めています。神道仏教が生まれてから、この器が「神聖」なるものになったと書かれた文章も見られます。果たしてそうなのでしょうか。BC7,000年以前のハンガリー・Koros-Cris-Culture、Me'htelek遺跡から出土した土器は、写真(86)のように「四つ足付き土器」が多いのです。「神聖」なるものの意味は、この時点ではすでに付加されていたようです。そうなると、脚付土器(高坏)の表象的な意味は、縄文時代草創期以前に求めなければいけなくなります。

 

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(86)ハンガリー・Koros-Cris-Cultureの脚付土器

  Me'htelek,Koros Culture,Hungary.: Me'htelek Nandor Kalicz著

 

 日本では、確かに縄文土器晩期の宮城県、北小松遺跡にこの土器の出土例がみられます。そして、この遺跡には不思議なことがあります。たとえば「犬の埋葬」などです。

このことも含めて、7,000年近くの時を隔てた、Me'htelek,Koros Culture,Hungaryと縄文晩期の宮城県、北小松遺跡はこの土器によって結ばれます。詳しく見てみましょう。

 

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(88)宮城県、北小松遺跡の脚付土器;peaの植物辞典、{「発掘された日本列島2015」を観る}より

 

脚付土器(高坏)の意味は「編む文化」を見てきた経緯から考えられます。

「Grass hut(芝の家)からTholos(トロス)へ~聖なるズールーの概念、形による伝承~」(参照)をいま一度ご覧ください。聖なる形を表象するTholos(トロス)には二つの形があります。北地中海の「石の文化圏」ではより古い「Grass hut(芝の家)」がそのままTholos(トロス)になっています。「編む文化圏」では脚付(高床)に進化した「Grass hut on stits(高床式芝の家)」の形になります。

 

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 (89)ミャオ族の高床式倉庫;日本人の原郷、萩原秀三郎

 

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(10)Burkina Faso(ブルキナファソ)・円錐形の住居:vivelaventure.fr

 

swissinfo.ch/jpn「アフリカ最古の土器を発見」によれば、ジュネーブ大学のエリック・ヒュイセコム教授が率いる、28ヵ国から集まった50人の国際チームがアフリカのマリ中部で1万1,400年前の土器を発見したそうです。教授は、土器は西部アフリカで初めて作られたと確信しているそうです。写真のBurkina Faso(ブルキナファソ)はすぐ近くです。これからの発掘に注目しています。

 

 

 

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(38)Grass huts(hut on stits・高床式) of Toposa people,South sudan               camelworld.com

 

アフリカ、南スーダンのToposa族は農業をしない遊牧民です。これらのことから見ても、「hut on stits・高床式」への進化は「雨期」を生きる知恵として考えられたと思います。日本でも先進の文化を持って「Grass hut(芝の家)」、「Grass huts on stits・(高床式)」と共にやって来た、少数の黒い顔の人々の記憶は、「聖なる家」と「黒い顔の神」(下記参照)として残されたと考えます。

 

トピックス(8)Gleichenia japonica(ウラジロ)とズールーの概念(2)より(参照)

 

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 (11)イオマンテの祭壇:「別冊太陽・先住民アイヌ民族」

 

この「花ゴザ」は写真(8)テンキと同じ素材で作られ、この「文様」を編み込むことによって祭壇に飾られる。「文様」の大切さを知ることが出来ます。思い出して下さい、「七宝つなぎ」の文様から、文化服装学院・工芸科の生徒達が引き出した多くの表象は、「アイヌ」の文様(参照)でした。「七宝つなぎ」も西アジアからインドを通り、日本に伝播しています。アイヌ民族の祖先は縄文時代何処に居たのでしょうか?それにしても、アイヌのカムイも黒い顔をしているのですね。子供の頃。徳島では正月に「三番叟」を舞う人形浄瑠璃が家々にやってきていました。神の降臨とともに、黒い顔になる人形が怖くて頭に焼き付いています。福島県の「おんば様」、徳島県三好市の「神代踊りの神」などの「黒い神」も、縄文時代以前を示すものではないでしょうか。

 

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(90)サルデーニャ島・マムトネス(Mammuttones)によく似た徳島県三好市、神代踊り   の黒い神 ;地域おこし協力隊ブログ(参照)

 

次の機会に詳しく書きますが、やっと解りました。写真(11)・ゴザの文様は「雲」と「雨」の組み合わさったものでした。後に中国で「雷」の初文(金文)になります。そうすると、やっぱりこの神は「平衡の王女」になります。そして、「黒い顔の王女」の両脇に乱立する「イナウ」は、縄文土器の垂下する色々な線の文様と同じく、「雨」の表象だったのです。「黒い顔の王女」と「イナウ」の意味が分かれば、アイヌの表象は次々と原義が分かるはずです。

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