形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

トピックス(9)「イシュタル」の表象(3-7)

 

 

「クリムト展」(参照)

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「輝く雨の表象」をまとう「黄金の騎士」

 

もう一つの「八芒星」と「円筒印象」

 

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(30)POINT ZERO DES ROUTES DE FEANCE(フランスの起点・パリ、ノートルダム大聖堂前の「八芒星」の表象;Atlas Obscura

 

ノートルダム大聖堂の火災を知った時、不謹慎ながら中央祭壇左側通路に外し置かれた「シャンデリア」のことを心配しました。火災後の映像をみる限り、位置的に大丈夫だと思っています。私はこの「シャンデリア」には、「シテ島」に初めて住み着いた部族の、出自の秘密が表れていると考えているのです。同じ造形的構造(雨の表象ジョイントなど)をもつ遺物が、鉄器時代のイタリアで見つかっています。そしてその「シャンデリア」に似た造形物には、「牛」、「鳥」、「出産ポーズの女性」の像が見られます。その表象はノートルダム大聖堂前に埋め込まれた「POINT ZERO DES ROUTES DE FEANCE(フランスの起点)」に繋がり、宗教を超えた存在である「Nortre Dame(私達の貴婦人)」とは誰のことかに繋がります。「シテ島」に初めて住み着いた人々が持っていた概念こそが「Nortre Dame(私達の貴婦人)」だと考えています。

そして,「POINT ZERO DES ROUTES DE FEANCE(フランスの起点)」に表れた表象こそがもう一つの「八芒星」です。

 

 

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(31)FOLK DESIGNS FROM THE CAUCASUS・コーカサス地方の文様/表紙

  LYATIF KERIMOV

 

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(32)「平衡のcheveron」から「八芒星」の誕生:和久ノート

 

この「八芒星」はコーカサス地方で生まれたようで、写真(31)のようにコーカサス地方の伝統的な「民族装飾文様」の基本として、現在も広くコーカサス地方の色々な部族に受け継がれています。他方、バルカン半島やヨーロッパでは主にユダヤ共同体のシナゴーグ(synagogue)で使用されていることから、その地で生まれたのではなく、もともとコーカサス地方の部族であったユダヤ共同体を通じて伝搬したと考えています。

 

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(33)円筒印象印影;BC20~19世紀トルコ中央部にあった古アッシリアの交易植民都市カールム・カニシュ出土;円筒印章 東京美術

 

またこの「八芒星」はアナトリア(トルコ)、シリア、イラン、メソポタミア、エジプトなどで「* ディンギル」として「円筒印象」や石碑などに刻まれています。

 「* ディンギル」は「シュメル語」で「神」を表すと説明されています。しかし、正確には「コーカサス地方の神」を表す表象として、上記の地域で広く使用されています。

次回は「円筒印象」に現れた写真(33)中央の「イシュタルの表象」、また「イシュタルの手」、「* ディンギル」などをもう少し詳しく見ていきます。この「円筒印象」の「イシュタル」から、私が長らく解らなかった「何故、イシュタルは戦いの女神になり、それにより平衡の表象(V)が勝利のサインになったのか?」が浮かんできます。

 

 

 

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(34)ノートルダム大聖堂・シャンデリア:トリップアドバイザー提供

 

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写真(35)円筒印象印影と同じ、出産のヴィーナスと習合した雨の女神、水牛、鳥のいる、雨の表象で構成された世界

鉄器時代のイタリア:Prehistoric Metal Artefacts from Italy(3500~720BC)
in the British Museum Research Publicati

 

写真(33)円筒印象印影,鉄器時代の遺物、ノートルダム大聖堂のシャンデリアは繋がります。
 ノートルダム大聖堂、自由の女神、凱旋門、ピラミッド、パリに堂々とちりばめられた表象は、すべて一つの概念に集約しています。ダビンチコードとは違い、これほど堂々と・・・・。

 

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(36)ルーヴル・ピラミッド

 

ルーヴル美術館の中庭にピラミッドが現れた当初、本当に驚いたものです。やっとその意味が解りました。ピラミッドが生れた土地、それは巨石文化のルーツに繋がるのでしょう。

 

「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展

国立新美術館

 

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ヨーゼフ2世のモヌメント(ヨーゼフ2世の死後、彼の啓蒙主義などの功績を称えてフリーメイスンが出版した銅版画、ヨーゼフ2世とフリーメイスンの繋がりを示す。

「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展図録

 

図録では、フリーメイスンと古代エジプトに関係づけていますが、私はフリーメイスンとコーカサス地方だと考えています。コーカサス地方に残されたピラミッドは、巨石文化へと繋がっていきます。フリーメイスンの初期の顔は「石工組合」です ね。「石を切り、石を曳き、石を積む」部族です。「フリーメイスン」そして「Bertha Zuckerkandl(ベルタツッカーカンドル)」女史なくして古代表象をグラフィックデザインとして使った「ウィーン分離派」は存在しません。そしてユダヤ人もコーカサス地方の一部族です。これからこのあたりの「形而下の石」は積みあがっていくはずです。

 ちなみに、2万6千年頃レバント地方からイランの方に、出アフリカをした部族のY染色体ハプログループは「G1」で、そのうちコーカサス地方で定住し、分岐したハプログループは「G2」です。ユダヤ人は「G2b」で、「G2a」が主に北ヨーロッパや西ヨーロッパに広がったのに対し、「G2b」はそれ以外にパキスタン、インド、東南アジア方面にもひろがっています。インダス文明の主な担い手だと考えています。このハプログループは「G2」の広がりを見れば、コーカサス地方の部族が、「黒海大洪水」や「プロト・インドヨーロッパ語族の到来」から逃れ、世界に広がったことが見えてきます。

そして、中世の「石工組合」はハプログループ「G2」部族の後裔が中心であったと考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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