形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

トピックス(9)「イシュタル」の表象(3-22)

 

 

 イシュタルの手(3)

戸下神楽(諸塚神楽)・「岩戸上,下」春日大神天照大神

 

 

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(51)「四手」と「神垂」;和久ノート(参照)1,(参照)2

 

「 戸下神楽」は日向(宮崎)で「天照大神」の概念が生まれたことを教えてくれます。前回に見た「山守(イシュタル)」の流れから見て頂くと、番付「岩戸」はよく理解できると思います。

宮崎県戸塚村の綟川家が一子相伝で演じてきた「山守」と同じように「春日大神」、[天照大神」も綟川家の大切な演目です。「戸下神楽」は綟川家の演目に集約されます。

 

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(52) 番付「岩戸」(上)。御幣と鈴を採り物に舞う春日大神春日大神は「岩戸」(下)で再び登場するが、このとき、採り物を持たない。;別冊太陽・祭礼、平凡社;文章 山本ひろ子

 

「岩戸」(上)では春日大神が単独で舞います。このとき手にする「採り物」に、春日大神の神格が表されています。戸下神楽では、その他の神々は山守(イシュタル)から変容した神であることを示すため「面棒」(参照)を持ち、「天照大神」の誕生を祝う「日の丸扇」を手にしています。春日大神はいずれの「採り物」も持ちません。左手には、「輝く雨による平衡」を表象する「御幣」、そして、右手には「鈴」を持ちます。「鈴」は「入れ子」で、「出産(安産)、生命の誕生」を表します。すなわち、これまで見てきた「ヴィーナス」の神格です。

神以外の人間(神官や巫女)が「面棒」以外の「採り物」を持つときは、召喚したい神の神格に合わせています。「戸下神楽」で子どもが舞うときは、「鈴」と「剣」を持っています。どちらも「入れ子」の概念を持ち、「生命の誕生」を表象しています。また「剣」に「ハートの表象(Silphum(シルフュームの実)(参照) 」が付くのも、この理由によります。(参照)

伊勢神宮式年遷宮で新しくされる剣もハートの表象を持っています。Silphum(シルフュームの実による繋がりが考えられます。

山の神の神社、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の「懸魚」はハートとザクロの花を伴う、ミノア文明の生命の樹です。山の神とミノア文明は、やはりつながりを持っています。

 

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 (31)懸魚;大山祇神社大山積神社);大三島神体山・鷲ヶ頭山の西麓に鎮座する。

和久譲治撮影

 

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 ミノア文明の表象;古い和久ノート

 

 

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(1)円筒印象印影、イラン、テペ・ヤヒヤ北方シャハダート出土(BC2,770年頃)

   

以前に紹介した円筒印象印影です。ずっと気になっていたのは、二人の女神の上には「平衡」を表す「水牛の角」が描かれていることです。二神の真ん中に描かれているのです。右は、「イシュタル」であることがすぐ解ります。頭の上には、「雨」と「平衡」、肩にも「雨」と「Ⅴ・平衡」、手には「(面棒のような)杖」、解り易い「イシュタルの表象」です。問題は、「イシュタル」と同じ平衡の女神」として描かれた、左の女神です。手(雨)のような花のついた「大ウイキョウ」を光背としています。上の「平衡」と合わせると「雨による平衡の女神」です。そして、何よりも「大ウイキョウ」の 「Silphum(シルフューム)(参照) を光背に持ち、生命の女神「ヴィーナス」の神格が強く表れています。あらゆる動物に生命を与え、養う女神です。動物に囲まれて描かれています。

「ハートの実(Silphum(シルフュームの実)のついた杖」を持つ神といえば「「ディオニソス」で、「ゼウス」を「蜂蜜の洞穴」で育てます。つまり、「イシュタル」と「ディオニソス」は同じ「雨による平衡の神」、「ぶどうによる豊穣の神」で「イシュタル」は「冥界の女神」が強く表れ、「ディオニソス」は「ヴィーナスの神格」が強く表れた同じ神であるようです。

「山守」と「春日大神」も同じような関係にあります。

「山守」は神主との問答で「藁の大蛇」など、冥界の神であることも見せています。

奈良の春日大社に数多くの鹿がいるのも、「春日大神」の「ヴィーナスの神格」に由来するのでしょうか。

「輝く雨による平衡」を表象する「御幣」と「生命の誕生」を表す「鈴」を持って現れた「春日大神」は、「ディオニソス」と同じ神格の、もう一人の山守(イシュタル)なのではないでしょうか。

 

 

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 (46)戸下神楽(諸塚神楽)宮崎県東臼杵郡諸塚村戸下

   番付「岩戸」(下)の春日大神。両手の指を交互に合わせて印を組み、念じながら天照大神を招き出す。;別冊太陽・祭礼、平凡社;文章 山本ひろ子

 

さて、クライマックスの 番付「岩戸」(下)にはいると、「春日大神」は「採り物」を持たずに一人で登場し、「四手」(写真51)の印を丁寧に何度も組み、「輝く雨」を降り注がせて、足で大地を踏みしめます。かって大地に「輝く雨」が降り注ぎ、焼けつくした大地を蘇らせたように、北半球を覆っていた「雲」を晴らしたように(参照)、大地に生命を与えます。

そして、「岩戸」に見立てた屏風の中から、「天照大神」を導き出します。「天照大神」は宮崎県戸塚村、綟川家の幼児が演じます。写真(53)のように「春日大神」は「天照大神」を導き、御神屋を3周します。この光景が「戸下神楽」のテーマだと考えます。「春日大神」は「天照大神」を慈しみ、育てます。

人々が手を合わせるこの光景とは、「春日大神」が「輝く雨」により成長させた「稲」の穂が、「天照大神」の太陽によって豊かに実る、「豊穣」の具現化ではないでしょうか。大地に「輝く雨」が降り注ぎ、焼けつくした大地を蘇らせた「(火と)雨による平衡」の後に生まれた「雨と太陽による平衡」の概念とは、自然界の「調和」であり、「豊穣」の原義です。地中海地域で、BC4,000~BC3,800.頃に現れた概念です。(写真66)古くから、バルカン半島や北欧の岩絵には「太陽」が描かれていました、コーカサス地方部族の移動先です。

「戸下神楽」には、「雨と太陽による平衡」の概念と同時に、「山の豊穣」から「稲作の豊穣」への時代の変化が現れています。

私の考えでは、神話化される以前の「日向」での概念では、「山守」、「春日大神」、「天照大神」は一体(イシュタル)であり、どの神格が強く出たかの、顕現の違いだと考えます。写真(49)で「山守」は「日の丸扇」を開きはしませんが、すでに手にしています。「山守」は「天照大神」の神格を持っていることを示しています。「戸下神楽」の「採り物」や祭壇には正確な概念の伝承が見られます。

 

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(53)春日大神に導かれて、御神屋を3周する天照大神。神歌が唱和され、屋内は深い感動に包まれる。地元の人々は、手を合わせて祈り、至福のときを感謝する。

;別冊太陽・祭礼、平凡社 ;文章 山本ひろ子

 

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(66)平衡の王女;1,2,Karanovo culture,Bulgaria,c.BC5,800.(火と雨による平衡)

        3,Ozieri culture,Sardinia,c.BC4,000~BC3,800.(太陽と雨による平衡)

4,Venedian culture,Poland

        The Language of GODDESS  Marija Gimbutas

 

 

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