形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

バロックを彫りながら

2008年春の展示会は「ユリとバロックの石留め」をテーマにしました。(写真参照)
そして、デザインから仕上げまで数ヶ月を要したリングは、持っていただきたい人達のところに落ち着き、一連の作業は完了しました。

私はジュエリーを作りながら考えます。
人生で一番長く関わってきた世界から、人間の文化を覗きます。

今回はポルトガル・スペインの初期バロック期に用いられた石留め方法で、graver(洋彫りタガネ)を使ってローズカット・ダイヤモンドを18kゴールドに彫り留める作業がほとんどでした。
graverの刃先に工夫をこらしながら考えます。

「graverは、どこで、いつの頃から、どのように使われたのか?」
「graverの切れ味を出している鉄と鋼のちがいとは?」
「では、鉄鉱石はどこで産し、どこで加工されたか?」
「鋼で有名なダマスクスとは?」

そうすると、西アジア古代世界から鉄として使用され、鋼としてイスラム世界で発達し、800年(711~1492)に及ぶイスラム支配によりイベリア半島にもたらされた、鋼の技術がgraverから見えてきます。
イスラム帝国の主たる製鋼の中心地はイランのヘラートから、プハラ、ダマスクス、イエメン、そしてトレド
にありました。このあたりの詳しい情報は、数多くのアラビア語で書かれた技術書の翻訳が待たれます。佐藤次高教授にお願いしたいところです。

インドを含むイスラム諸国で制作されたダマスクス剣は刀剣の歴史を変えました。当然、良く切れる宝飾細工用のgraverは新しい技術を生みます。「洋彫りタガネ」とは、これ以後、石留めの進歩がヨーロッパにおいて、ポルトガル~スペイン~イタリア・オランダ~イギリス・フランスと広がっていった過程を示します。

ポルトガルで新しい石留めが始まったとき、使用された基本的な工具、技術はイスラム世界で発達したものでした。金属の中に宝石を埋め込み、美しいデザインに彫りだしてゆく工程は、イスラム金工のinlay(象嵌)と同じです。inlayされる金属を宝石に置き換えればこの技術の連続性を理解することが出来ます。
ムガル帝国(1526~1857)で発達したkhndunセッティングはこのinlayをそのまま石留めに応用しています。

また、私が彫った「バロック」の装飾文様は、歴史に倣い、古代表象「生命の木」のイスラムバージョンです。レコンキスタ終了後(1492)、トレドを中心にイベリア半島のキリスト教国における、イスラム文化とユダヤ人の共存、翻訳活動は、古代世界から連続する装飾・表象をヨーロッパに接ぎ木します。

「生命の木」はペルシャでサエーナ樹となりますが、ポルトガル・スペインではギリシャ様式(アカンサス)が主に使用されます。また、コス・ド・ポア(エンドウ豆の鞘)のようにモチーフが変わっても「生命の木」は「生命の木」です。

ギリシャ世界の知の遺産はローマではなく、カリフ・マームーン(在位813~833)の時代バクダット「知恵の館;バイト・アルヒクマ」でアラビア語に翻訳、研究され発達したことを考えると、このことは理解できます。古代世界の文化~ギリシャの文化~バクダット「知恵の館」でアラビア語に翻訳~トレドでロマンス語への翻訳;この知識の大きな流れが、装飾様式にも表れるのです。「バロック」の本質がこの流れの中にあることを、数ヶ月のデザイン作業を通じ、今回再確認しました。

時はすぐに「東インド会社」の時代に移ります。特に、1602年オランダ東インド会社が設立された頃から、世界はヨーロッパを中心とした、商業システムに組み込まれ始めます。地理学的にタイムラグと差異を伴いながら、洋洋に発展した世界の文化・文明はゆっくりと均一化に向かいます。私にとってバロックを彫ることは、重要な歴史のターニング・ポイントを技術と装飾様式から考える作業となりました。

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