(16)金製イヤリング;エレトリア、エヴィア島、ギリシャ(BC475年~BC450年)
(14)エヴィア島;WIKIPEDIA
BC1,100年頃、インド―ヨーロッパ語族・ドーリア人の南下による混乱の暗黒時代が過ぎた頃より、エヴィア島のイオニア人(アナトリア西南部・イオニア地方に住み着いたアカイア人)の築いたハルキスとエレトリアは地中海交易によって繁栄していました。しかし、BC400年にアカイメネス朝ペルシャにエレトリアの町は破壊され、エヴィア島ではハルキスが第一の勢力になります。BC506年、そのハルキスも台頭してきたアテネに戦争で敗れ、エヴィア島の独立は失われます。エヴィア島を征服したアテネは植民を始め、ミケーネ文明のルーツより、別々に発展したアテネの文化をエヴィア島に持ち込んできます。(16)金製イヤリングや(13)金製指輪を見る限り、エヴィア島ではミケーネ文化をそのまま継承しています。生殖表象「柘榴・生命の樹の女神」と大地の表象「ゴルゴン」はそのまま表れています。
一方アテネでは、王政から貴族制になり、BC594年にソロンの改革(貴族制に制限をかけ、平民の政治参加に着手する。)があり、BC561年ベイシストラトスの僭主政治が始まります。この頃から政治、文化に変化が起こり、BC508年クレイステネスの改革により、アテネ民主主義の基礎が完成します。このBC6世紀後半より、アカイメネス朝ペルシャとの戦いを担った平民兵を中心に、アテネの都市神アテーナ崇拝が始まったと考えています。女神アテーナは表象的に見れば大地の表象「ゴルゴン」を変容した姿です。そして、ギリシャ神話の神々もアテネ独自の神々が生まれ、アポロン、アルテミス女神の時代へと変わって行きます。
(16)金製イヤリングが作られたのはBC475年~BC450年、アテネの繁栄期、そしてエヴィア島のエレトリアは独立を失ってから数十年が経ち、アテネの入植者による文化の変革期にあたります。但し、アテネが名実ともにギリシャの中心となるのは、BC480年、アカイメネス朝ペルシャとの戦争(ペルシャ戦争)で破壊されたアクロポリスの神殿に変わり、女神アテーナ神殿をBC438年に完成させた頃になります。エヴィア島への支配もこの頃までは、ペルシャ戦争のため比較的緩やかだったと思います。(16)金製イヤリングや(13)金製指輪がエレトリアの工房で作ることが出来た背景です。
考えれば、(16)金製イヤリングや(13)金製指輪の編年(BC475年~BC450年)はペルシャが去り、アテネの本格支配がやって来る間だったと思われます。
次回は詳細な表象の分析に入ります。