形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

「羽子板、扇」が導いたこと(19)酉の市

氷川神社と高畑大鷲神社

 

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(1)「CONCARENA]イタリア・「夜明けのゴルゴン」(参照);和久譲治製作

 

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(2)社紋;扇に日の丸・高畑大鷲神社

 

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(2)社紋;扇に日の丸・高畑大鷲神社

 

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(3)「Chevron(Cheveron仏古語)」された石刃(石包丁)表象と鶏頭(拡大)

 

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(3)Impasto vase with letters of Etruscan alphabet(BC7C.)

THE ETRUSCANS;Thames & Hudson

 

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(4)ETRUSCAN ASKOS;(BC320年)

THE ETRUSCANS;Thames & Hudson

 

エトルリアの末期、周囲をインド―ヨーロッパ語族に取り囲まれ、ギリシャ風に有翼の女神であらわされた「石刃由来・多産と豊穣の大地女神(ゴルゴン)」、この女神の住まう場所は「花園」と呼ばれた。インド―ヨーロッパ語族の人々からは、「悪魔の[VANTH(鷲、鷹、隼)」と呼ばれ、住まう場所は、地下・冥界となる。

 

一つの仮説

 黄金伝説展 古代地中海世界の秘宝(11)で所見を書いたことの一例をあげれば、「高畑大鷲神社の扇」は後光の表象、そしてエトルリアの石刃(石包丁)と鶏頭で表す「Chevron(Cheveron仏古語)」された「CONCARENA]、「夜明けのゴルゴン」の表象です。「酉の市」で祝うのは、「鶏頭」と「扇」でかたづくる「石刃由来・豊饒の大地神と守護する後光の蛇」です。

こう考えると、江戸時代から続く「酉の市」の起源が良く分かります。花畑村(旧花又村)の大鷲神社で、秋の収穫を祝い「鷲大明神」に鶏を奉納したことが起源とされているのです。

 

石刃(石包丁)と後光

高畑大鷲神社と同じ様な、古代地中海文化の表象を持つ氷川神社は「酉の市」を祝わない。「酉の市」に何かしらの関係があると思い、調べ始めたのだが、やっと、その理由が解りかけてきました。アフリカで生まれた「豊饒の大地神」が地中海世界に広がり、やがてミラノの北、アルプスの麓で「CONCARENA]の後光に出会うまで、「豊饒の大地神」は違った表象で表されていたのです。そのことをblog[日々平穏」で、氷川女体神社にある氷川神社「御神紋」を眺めているうちに気づきました。(6)「Grotta of Porto Bdisco・Italia]の洞窟壁画(BC6,000)を見て下さい。上段の二例は「蛇」による「人形・大地神」ですが、後光の表現はありません。下段二例は明らかに「後光を持つ人形・大地神」を表しています。「Grotta of Porto Bdisco」はイタリア半島南端に位置しますが、BC6,000頃に、もっと多くの「形而下の石」が必要ですが、「後光」との出会いは起こったようです。右の一例は(BC5,600年~BC5,500年)以降のものでしょう。大地の表象に四角観念が使われています。頭の後光はオーラで表現されています。「ChevronnCheveron仏古語)」された腕は「蛇」である形をを示します。「蛇」のオーラです。

 そして、(4)氷川神社「御神紋」ををよく見ると、「蛇」に覆われるように守られた丸い大地に、二体の「豊饒の大地神」が見られます。黄金伝説展 に展示されている(10)金製祭祀用石刃・「豊饒の大地」と同じ形です。二体であることは、 (7)双子の石刃由来・豊饒の大地神;アナトリア(先ヒッタイト・BC2,000年以前)に見られるように、よりアフリカの観念が強いことを示しています。アフリカ神話で双子は神なのです。(9)ミノア文明、クノッソス宮殿内部(BC17~BC16世紀)の祭祀用石刃・「豊饒の大地」にもこの観念は強く、二つの丸い石刃(石包丁)を繋いで「豊饒の大地神」を表しています。後光との出会い以前は「後光」を伴わない、「蛇に覆われ大地」や「ダルマ形」で「豊饒の大地神」は表象されていたのです。つまり氷川神社は高畑大鷲神社より年代をさかのぼり、「CONCARENA]より地理的に離れ、「後光」による変容をうけなかった、クレタ・ミノア文明の「ダルマ形」や、古代シリアの(7)フンババ(全身が蛇に覆われている)のような「豊饒の大地神」を祭っているのでしょう。そういえば、氷川神社の右手奥にある池は「ひょうたん池」でした。

 

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(5)氷川神社「御神紋」;リンク元「日々平穏」より転載

 

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 (6)「Grotta of Porto Bdisco・Italia]の洞窟壁画(BC6,000)

THE LANGUAGE OF THE GODDESS:Thames & Hudson(推薦本 )

 

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 (7)フンババ;BC1,700頃・大英博物館所蔵

各種資料より和久譲治製作若干の違いあり

 

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 (8)双子の石刃由来・豊饒の大地神;アナトリア(先ヒッタイト・BC2,000年以前)

 ヒッタイト帝國;TIME LIFE BOOKS

 

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(9)ミノア文明、クノッソス宮殿内部(BC17~BC16世紀)

 ARCHEO;Newton Press

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 (10)金製祭祀用石刃・「豊饒の大地」;ビュロス・第4墳墓;ギリシゃ

BC1,450根年~BC1,400年

 

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(11)分銅形土偶:縄文土偶ガイドブック;新泉社

八王子貝塚 愛知県西尾市(縄文後期)

西尾市教育委員会所蔵

 

「後光」による変容の例はアナトリアで見られます。後光型の石刃に変化した双子の「豊饒の大地神」と「大地」を表す「盾」です。ちなみにミノア文明では(9)ミノア文明、クノッソス宮殿内部(BC17~BC16世紀)の祭祀用石刃・「豊饒の大地」と同じ形の「盾」が使われていたようです。「盾」の模様は牛模様で「牛」が「大地」を表すことを、ここでも示しています。(11)縄文:分銅形土偶は角があいまいですが、此の形なのでしょう。各地の分銅形土偶を精査してみたいと思っています。(14)「黄金餅」は「ダルマ形」ですし、(15)「分銅金」は「後光形」です。

 

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(12)双子の石刃由来の大地神

アナトリア、アラジャ・ヒュック出土(BC2,300年~BC2100年)

ヒッタイト帝國;TIME LIFE BOOKS

 

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(13)アブシンベル大神殿レリーフ「カディシュの戦い」

BC1,274年ヒッタイト軍とエジプト軍の戦い;ヒッタイト帝國;TIME LIFE BOOKS

 

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(14)黄金餅;三菱マテリアルとコロワイドの株主優待

 

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(15)「桐」刻印・分銅金(小分銅);CURIO 190号 フジインターナミント株式会社

 

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