ソワソン管区(Royaume de soissons)
フランスパンを作った 文化要因
ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)・1
西ローマ帝国が北部ガリアを支配するために作ったソワソン管区(参照)は、西ローマ帝国滅亡(476年)後も存続していました。そして、ここに残されたローマ文化(行政体制、宗教、言語など)とフランク王国の文化は融合して、フランス文化の根幹を型作り始めます。もちろん、フランスパンの始まりも、この時代だと考えます。現代フランス語が俗ラテン語から始まるオイル諸語から発達したことを考えると、486年、クロヴィスがソワソンを奪い、この地に王の館を立てた意味は大きいと思います。フランク王国の文化はローマの文化とこの地で融合しました。。一方、ロデヴ(Lodeve)・(参照)はオイル語と違う言語の、オック語圏にあるのですから、歴史の違うフランスパンがあるのも当然です。
(37)パン・ド・ロデヴ;BIGOT:天然酵母で発酵させた水分の多いパン生地をそのままの形で焼き上げた、デリケートでピュアな食感が南仏オック語圏のパン文化を感じさせます。
フランク王国の文化とはどのようなもので、どのように融合していったのか?フランスパンについて考える前に、多くの「形而下の石」が残る、ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)を見てみたいと思います。ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)はフランク王国のルーツを見せてくれます。
(38・a)ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)の武具 ;トルネイ、キルデリクス(482死去)の墓: Les Merovingens Histooire
(38・b) ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)の武具;トルネイ、キルデリクス(482死去)の墓: Les Merovingens Histooire
(39) 鳥型ブローチ(Fibule aviforme)・エーヌ県 : Les Merovingens Histooire
1653年、メロヴィク(参照)の 子、クロヴィスの父・キルデリクス(482死去)の墓が、サリー・フランク族の居住地・トルネイで見つかりました。そして墓の中から見つかったのが写真 (38)のガーネット象嵌(cloisonne de grenats)の武具です。写真(39)は旧ソワソン管区内にある、ノール=パ・ド・カレー=ピカルディ地域圏・エーヌ県・Goudelancourtで見つかった、鳥型ブロー チ(Fibule aviforme)です。写真(39)はクロヴィスがソワソンに移った後のものでしょう。なぜなら鳥型ブローチ(Fibule aviforme)はローマ文化圏のものではありません。ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)はローマ人がBarbari(ラテン語)と呼んだ民族に結びついているのです。さらによく見ると写真(37)と写真(38)には大きな違いがみつかります。具体的には「石留め技術」の違いですが、「ガーネット」の発色もかなり違うようなのです。産地の違いが考えられます。これから、サリー・フランク族とフランク族の歴史が隠されているガーネット象嵌(cloisonne de grenats)を詳しく見ていくことにします。ちなみに、「POUL]創業の地「リール」もノール=パ・ド・カレー=ピカルディ地域圏に位置します。
(40)「POUL]・アンシャン・ポール;しっかりした小麦の味と歯ごたえ、中世・北フランスを感じます。