形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

トピックス(8)Gleichenia japonica(ウラジロ)とズールーノ概念(9)

 

                茅

Imperata cylindrica(コゴングラス等)とDesmostachya bipinnata(ソルトリードグラス等)          

              そして輪になって踊る意味

 

 

 

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(44)茅の輪;アトリエ近くの熊野神社(2017年6月)

 

六月になり「茅の輪」が神社に設けられる季節になりました。神社や地域により少しずつ違っている、現在の変容した意味合いを見るのではなく、「茅の輪」の本質を考えたいと思います。

「古くから伝わる知恵の秘密は、物の名前とその忘れられた意味の中にある。」
ズールー口承の語り部・ントゥリ家マクァンデヤーナ(マジシ・クネーネの曾祖母)(参照)

 

熊野神社の掲示に「茅の輪」の由来が書いてありました。それによると、「備後国風土記」に見られる蘇民将来の説話に、小さい「茅の輪」を腰に巻いて、疫病除けにしたことが記されているそうです。萩原秀三郎氏の「図説 日本人の原郷」の中にも、「魂を輪が守る」「チガヤの呪力が先行する」などの見出しに、「輪」や「「チガヤ」が中国西南部の少数民族(ワ族、ミャオ族、トン族等)の間で聖なる呪力があるものだと書かれています。

 

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(40)中国の少数民族ミャオ族のミーヒュウ;図説 日本人の原郷 萩原秀三郎

 

この「輪繋ぎ」は鎖(チェーン)の本義的な意味を持ち、「クリスマスツリー」や「七夕」の「チェーン飾り」の本義を説明します。また、私の関わるジュエリーの「チェーン」の誕生を説明します。鎖(チェーン)とは「聖なる円環」を繋いだものであり、途絶えることのない「円環」の連続性を表したものだと思います。「繋ぎ」「七宝繋ぎ」の文様も「聖なる円環」の絶え間ない連続を表象しています。(参照)萩原秀三郎氏のミャオ族の取材では「輪は命を繋ぎとめる大切なもの」と変容してています。マジシ・クネーネ氏の言葉を借りれば、「ズールーの概念」では人の「周期」とは人の「社会共同体」に於ける一生になります。「周期の円環」は知覚可能な個別の体験として理解されるもので、「輪になって」「共同体」の中で踊る時、人は「踊る円環」の中にいる自分を体感します。これが自分の「円環」で、やがてこの「周期の円環」は閉じて土の中に入ります。そしてその時は、次の「踊る円環」が自分たちの頭の上に、子供たちによって創られます。こうして「円環」は「芝の家」の様に重なります。萩原秀三郎氏が取材したミャオ族の「命を繋ぎ止める鎖)の意味とは、大切な人の「周期の円環」を繋ぎ止める意味に変容した「ズールーの概念」だと考えます。「ガーバ神殿」の周りの巨大な「円環」から「五月祭」「盆踊り」まで、かたどられる「円環」はその中にいる個別の人々の「社会共同体」的な「円環」だと理解します。マジシ・クネーネ氏の説明する「ズールーの概念」は非常に解り易く、「円環」を積み上げて「芝の家」をつくることが、聖なる作業であること、「芝の家」の形そのものが聖なるものであること、そうして、「芝の家」の材料となった「茅」が聖なる植物になったことを理解させてくれます。「芝の家」を通して「円環」と「茅」は結びつきました。「茅の円環」は聖なるものの表象なのです。今の「茅の輪」や伊勢湾、神島のゲーター祭「円環」を見てみると、農業と農耕儀礼の発達が、「周期」の意味を「農業の周期」、すなわち一年に変容させたことが分かります。農業の新年は収穫祭なので、共同体の主な作物によって、6月と12月に分かれます。また「輪になって踊る」意味も、特に宗教が始まってからは、変容します。しかし、宗教に関係なく民族的な「円舞」が残っている共同体はジョージアをはじめ、多くの地域に残っています。

つづいて「茅」を詳しく見ていくことのします。

 次回は

Imperata cylindrica(コゴングラス等)とDesmostachya bipinnata(ソルトリードグラス等)です。

 

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(43)Sacred Kusha Grass ornaments(茅を円環に編んだ神聖(Hindus)な装身具;インド

  Traditional jewelry of india  oppi untracht著

 

これは私の直感ですが、アイヌの男性が儀礼の時に冠る「サパンペ」と同じ、神聖な「円環」ではないでしょうか。もう一度見ることにします。

 

 

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(45)チガヤやスズキを輪に結び濁り酒にさす「魔よけのチガヤ」沖縄

   図説 日本人の原郷 萩原秀三郎

 

ドイツ、マインツ市、フィンテンの聖泉で見つかった、AD1世紀の「植物素材の聖なる結び」によく似ています。両者に同じ概念を持った人々が移動したことは、その他多くの表象から分かります。[チガヤを結ぶ」ことは、聖なる力を授かる行為なのでしょう。「契りを結ぶ」のも、聖なる行為です。互いの社会共同体的存在の「周期の円環」を結び付けるのですから。

 

 

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(46)重そうな鎖(チェーン)が目立つミャオ族の正装

  図説 日本人の原郷 萩原秀三郎

 

正装の少女達には不釣り合いな太い鎖(チェーン)です。少女達の「円環」を繋いでいく役割を表しています。絶えることのない「円環の連続」を表象しています。ジュエリーの鎖(チェーン)の本義です。

 

 

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(42)伊勢湾、神島 ゲーター祭;図説 日本人の原郷 萩原秀三郎

 

一年を経過した「円環」を、叩き落とし、新しい「円環」を突き上げて、新年を迎える儀式としています。人間の「周期の円環」は「農業の周期」、すなわち一年に変容しています。

 

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