原始ゲルマン人の文様とズールーの概念
これまで見てきたように北アフリカで一万年数千年前に始まった、「植物素材を編む文化」は写真(51)テンキのように、色の違った素材で「ズールーの概念」・「円環」を編み込みました。「概念」を文様として表象する初期の段階だと考えます。写真(52)のように、編目のKnotsによって偶然に作られた文様は、やがて「円環」を表す「聖なる文様」として独り歩きを始めます。やがて生まれた「土器」に描かれたのは、「植物素材の編目」であり、「聖なる文様」です。「土器」が「編み籠」の延長線上にあることの表れだと思います。日本の先住民アイヌ民族はこの「ズールーの概念」・「聖なる文様」を一万年数千年の文化として守ってきた民族であることが解ります。
そして「ズールーの概念」・「聖なる文様」を民族の表象として守っていた、もう一つの民族があります。当然そのルーツは同じ、北アフリカを「植物素材を編む文化」と「ズールーの概念」を持って旅立つた人達になります。
「原始ゲルマン人」です。
その後裔にあたる「東ゴート 」と「アングロ・サクソン」の「ズールーの概念」・「聖なる文様」が写真(54)、(55)に見られます。これらの民族はその他にも多くの「ズールーの概念」・「聖なる文様」を持っているのですが、時間をかけて証明することにします。アイヌ民族の「テンキ」の文様がさらに進化・変容して、「円環」の中に真円の「円環」や、ミルフィオリガラス(millefiori grass)で表された「四つの空間」があり、「ズールーの概念」をより明確に表現しています。
「ゲルマン人」の特性として、「金髪碧眼」と「ゲルマン語」が挙げられますが、「ズールーの概念」を通してみれば、この民族の成り立ちはより解り易くなります。
私の考えでは、「原始ゲルマン人」は大きく二つの集団の混合から生まれています。一つは、旧石器時代にアフリカ大陸をジブラルタル海峡から北に旅立ち、北欧で北半球のボトルネックを生き延びた人びとです。この集団は突然変異により「金髪碧眼」を属性としています。そしてもう一つは、「ゲルマン語」、「ズールーの概念」、「農耕」を持って、北アフリカからバルカン半島、黒海北西岸からドナウ川、エルベ川などを経てスカンディナヴィア半島南部にやって来ました。背景には、馬と青銅器を持ったインドヨーロッパ語族とカフカス民族の拡張があります。
ここまできてやっと「ハートの表象が語ること」に繋がりました。
discbrooch(ディスク ブローチ)・(参照)も「ゲルマン人」は「ズールーの概念」を守っているので、他民族による変容と比較していくことになります。
(54)ガーネット・ガラス(garnets and grass)象嵌銀製金メッキバックル;東ゴート (テオドリック期・5世紀~6世紀初期):BRIGHT LIGHTS IN THE DARK AGES
The Morgan Library Museum
(55)ガーネット・ミルフィオリガラス(garnets and millefiori grass)象嵌
金製 ショルダククラスプ(7世紀) ;サットン・フー(Sutton Hoo,Ingland )
TREASURES FROM SUTTON HOO Gareth Williams
(51)テンキ;別冊太陽 先住民アイヌ民族 平凡社(参照)
(52)編目のKnotsによる見え方;TRIBAL & VILLAGE RUGS Thames & Hudson(参 照)
(35)Round lid(円形飾り板)、前期シリア文化期(BC1,760~BC1,700年頃)
古代シリア文明展図録(参照)、
(53)Gold discbrooch(ディスク ブローチ)Byzantin(ビザンツ帝国)3世紀~4世 紀
A HISTORY OF JEWELRY PARK LANE(参照)
(56)真鍮 discbrooch(ディスク ブローチ),ガーネット・ガラス(garnets and grass);東ゴート (テオドリック期・5世紀~6世紀初期)
BRIGHT LIGHTS IN THE DARK AGES
The Morgan Library Museum
初期キリスト教期の写真(53)Gold discbrooch(ディスク ブローチ)Byzantin(ビザンツ帝国)では消えていた「平衡の王女」の表象・ペアーシェイプのガーネットが、;東ゴート の discbrooch(ディスク ブローチ)では宇宙いっぱいにあふれ、遍在する「平衡の王女」が表されています。「ゲルマン人」の変容は「ズールーの概念」を継続していることが分かります。
さらにターヌム(Tanum)の岩絵には四分割された家、大地、宇宙の空間に、社会共同体の「円環」として存在する人間が表象されています。
(57)ターヌム(Tanum)の岩絵群、スウェーデン(スカンディナヴィア半島青銅器 BC1,800年~BC600年頃);wikipedia
(95)Tartaglia clay plate(タルタリア粘土板); BC5,500~BC4,500(新石器時代),
Tartaria,Alba County,Romania(ルーマニア)(参照)
Discovered by the archaeologistTHE Nicolae Vissa in 1961
Wikipedia