形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

トピックス(8)ズールーの概念と編む文化(18) ・土器の文化(10)・石の文化(3)

 

              縄文土器の形と文様  

 ハンガリー・ Koros-Cris-Cultureー中国・先仰韶文化ー日本・縄文草創期

        脚付土器と豆粒文、そして尖底土器と波状口縁土器

 

 

 

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(95)三足脚付豆粒文土器・先仰韶文化隣接黄河下流域、後李文化、北辛文化

  中国文明史・先史文明への胎動

 

後に「仰韶文化」へと繋がっていく、黄河黄河下流域、「後李文化」、「北辛文化」の土器には、ハンガリー・ Koros-Cris-Cultureと日本・縄文草創期と同じ「豆粒文」(参照)、「刺突文」、爪形文(参照)がみられます。

た「脚付土器」(参照)が多く現れることは、ハンガリー・「 Koros-Cris-Culture」と「北辛文化」に共通の「概念」が存在していたことの証明になります。

 つまり、ハンガリー・ 「Koros-Cris-Culture」ー中国・「先仰韶文化」ー日本・「縄文草創期」の土器に共通する「概念」があり、共通の「文様」が生まれていたことになります。土器文様の伝播を考える時、中国の黄河下流域と東北平原南部、そしてシベリアは重要です。

 そしてまた、この共通する「概念」を持った部族、持たない部族が展開していたことを考えなければいけないようです。すべてのバスケットメーカーが共通する「概念」を持ってはいなかったようです。「編む文化」を持った部族の中に、「ズールーの概念」を変容しながら持つ部族が現れ、世界に広がったと考えられるのです。初期の「文様」は私たちが考えるような「装飾」ではなく、「概念」の表象なのですから、「概念」の存在なくして生まれないと考えていました。しかし、「概念」からではなく、「編む文化」が生んだ「文様」もあったようです。中国、湖南省、玉せん岩遺跡の「縄文土器」が教えてくれます。

 

 

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(96)縄文土器、中国、湖南省、玉せん岩遺跡、BC8,000年頃

   中国文明史・先史文明への胎動

 

この中国南部かで見つかった「縄文土器」は「先仰韶文化」よりも古く、脆くて、粗い作りの土器だそうです。しかし、この土器は他ではあまり見ない貴重な「文様」を持っています。「縄文文様」が土器の器壁内外に同じように施されているのです。「概念」を表象するときは、土器表面に記号のような「文様」が現れるものです。器壁内外に施されているのは、「編み籠」の延長線上に存在する物としての土器を意味しているのだと考えられます。尖底土器(せんていどき)と言う形態も写真(34)Shoshone currying basket(ショショーネ携帯用の編み籠)に似ています。形態自体も「編み籠」の延長線上にあるのではないでしょうか。

 

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(34)Shoshone currying basket(ショショーネ携帯用の編み籠)(参照)

  The Shoshone; Kim Dramer著

 

 日本の「縄文土器文様」を考える時、中国、湖南省の「縄文土器」は大きな啓示を与えてくれます。「編み籠」の延長線上の「縄文様」と「概念」を表象する「雲」や「雨」の「文様」を識別することです。そのうえで関東から東北地方に密に現れた「概念」を、ハンガリー・ 「Koros-Cris-Culture」や中国・「先仰韶文化」と比較検討が出来るのだと考えます。

 日本の「尖底土器」にも、籠のような「縄文」と「雲(ギザギザ線)」や「雨(水玉)」の文様を持つものがあります。同じ「編む文化」から、「ズールーの概念」が立体表現現れたものと、編み籠の形態に似せただけのものがあるようです。

 

 

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(97)波状口縁尖底土器、函館市住吉町遺跡;函館市(http://archives.c.fun.ac.jp)

 

「 波状口縁」は「編む文化」でジグザグ線で現れていた「雲」(訂正・平衡)の立体表現になります。後に「沸き立つ雲」まで表現は進んでいきます。そうすると、「土器の誕生」と哲学的「概念の誕生」は分けて考えることが必要なようです。「尖底」からは「土器の誕生」が推察され、「 波状口縁」は「概念の誕生」が読み取れるのです。写真(97)「波状口縁尖底土器」、この写真が見られる「函館市史」通説編1 2編3章1節-1に興味深いことが書かれています。

「北米西南部のクリフドウエリングの岩窟居住人が、かごに粘土を塗って乾かしていた例もあった。」

 {ショショーネ族の文化 「編む文化」、「松の文化」}(参照)で書きましたが、「編む文化」の伝播経路で、籠に水を入れる工夫がされました。西アジアでは籠に「瀝青(天然タール)」を塗り、防水加工しました。東アジアでは「松脂」が使われています。これらは発掘された「籠」が証明してくれるのですが、「粘土」のことは知りませんでした。この「粘土が塗られた籠」が存在するのであれば、「土器の誕生」の一例を知ることになります。

 

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(98)基本的な籠編み

 

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(99)巻き始め位置と底の突起

 

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(100)底に突起のある縄文土器(刺突文、爪形文も見られます。)、縄文草創期・帯広市大正3遺跡 ;帯広百年記念館・縄文土器ギャラリー

 

一般に「籠編み」は「底」から始めます。最も簡単で基本的な方法は写真(98)の編み方です。(A)の編み方では巻き上げ始め位置が少し高くなるため、底に突起が残ります。写真(34)Shoshone currying basket(ショショーネ携帯用の編み籠)にも「突起」は見られます。

帯広市大正3遺跡」の縄文草創期・「尖底土器」には底の突起がそのまま再現されています。このことは、「籠に粘土を塗って乾燥、あるいは焼成」防水加工した形態が、そのまま「土器」になったことを意味するのではないでしょうか。そこから、「突起」のない「尖底土器」になります。また写真右端には口縁と底が「角丸四角」の土器が見られます。写真(98)基本的な籠編み(B)から生まれた土器だと解釈できます。

 

 

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(101)暁式土器、縄文早期前半期、帯広市八千代A遺跡;帯広百年記念館・縄文土器ギャラリー

 

「帯広百年記念館・縄文土器ギャラリー」の情報によると、「縄文早期前半期(およそ一万年前~8,500年前)の北海道・道東地方を中心に、「暁(あかつき)式土器」と呼ばれる「平底」の土器が現れました。「平底」の土器も写真(98)基本的な籠編み(B)が示す様に早くから作られていたはずです。「暁(あかつき)式土器」には縄文草創期・帯広市大正3遺跡と同じように、口縁と底が「角丸四角」の土器があります。座りの良い「平底」へ「底に突起のある縄文土器」を変化させた一つの要因かも知れません。道南地方は「尖底」、道東には「平底」が多く作られたようです。この理由はもうすぐ分かるはずです。

初期の「暁(あかつき)式土器」には文様はほとんど無いそうですが、縦方向の「条痕」があるそうです。じつは、「縦方向の条痕」は立派な「文様」です。垂下する線は「雨」を表しています。「暁(あかつき)式土器」には縄文草創期・帯広市大正3遺跡と同じように、「雨」の表象である「刺突文」も見られます。北海道・道東地方と道南地方に展開した「ズールーの概念」を持った様々部族は、「雲」と「雨」の「文様」を部族によって様々に使い分けていたようです。また、当然「ズールーの概念」は様々に変容しています。時代は遡りますが、写真(97)波状口縁尖底土器、函館市住吉町遺跡のように、立体表現や雷文が明確なものもあれば、帯広市八千代A遺跡のように「縦方向の条痕」だけのものもあるのです。ただ、同じ「概念」の表象です。この二つの遺跡はもう一つ、非常に興味深いことを見せてくれます。写真(102)暁式土器、帯広市八千代A遺跡をご覧ください。暁式土器によく見られるようですが、土器の底に「帆立貝」の圧痕がくっきりと残っています。つづく

 

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(102)暁式土器、縄文早期前半期、帯広市八千代A遺跡;帯広百年記念館・縄文土器ギャラリー

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