「イシュタル」の表象(2)
「イシュタル」の表象とキクラデス文明
(70)Violin-shaped Grotte-Pelos figurines;wikipedia
「Early Cycladic Ⅰ(BC3,200~2,800年頃)」、エーゲ海・キクラデス文明は石製「Violin-shaped figurines(バイオリン形の女神像)」の登場から始まります。「Early Cycladic Ⅱ(BC2,800~2,300年頃)」に現れる大理石の具象的な女神像も「バイオリン形」を継承して造形的に作られます。そして,よく「芸術的」な女神像として紹介されています。しかし文化史において「芸術的」は「思考停止」か「現代思考の先入観」を表します。古代の造形物を見る時は、出来るだけ当時の状況に身を置き、人々の概念を探る必要があります。
「バイオリン形の女神像」は「イシュタルの表象」です。
イシュタルの表象(♀)
こうするとすぐ解ります。
(71)
女神像は人形に作られると思い込むと、表象をそのまま造形したことが分かりません。
「Grotta-Pelos(Pelos洞窟)」からは「骨壺」も見つかっています。「イシュタルの表象」はサルデーニャ島の「寄り添う女神・B0nu Ighinu」(参照)と同じ概念の現れだと考えます。「雨による平衡の女神」が「寄り添う女神」になることは「Çatalhöyük;チュタル・フュユク」遺跡で確認できます。アナトリア(トルコ)の東西中部にある「Çatalhöyük;チュタル・フュユク」は、地中海の北と南の文化が交わる場所だったことが多くの出土品から分かります。例えば、北アフリカの「ズールーの概念」は「石の腕輪(後に貝輪になる)」、「石の玉(後に泥玉・土玉になる)」などに現れています。そして、北の「Cardial culture(BC6,400~5,500年頃)」(参照)が「Çatalhöyük;チュタル・フュユク」に残した遺物があります。
(72)Space257;Çatalhöyük Excavations Edited by Ian Hodder
「雨による平衡の女神」を表す「貝製仮面」が人骨と一緒に埋葬されています。この「貝製仮面」の「寄り添う女神」としての概念が「Violin-shaped figurines(バイオリン形の女神像)」や「B0nu Ighinu」になっていった考えます。「Çatalhöyük Excavations Edited by Ian Hodder 」にはいろいろな発見がありますので少しづつ紹介していきたいと思っています。
それでは、「Early Cycladic Ⅱ(BC2,800~2,300年頃)」に現れた女神像の変化を見て下さい。「イシュタルの表象」の形を残しながら、少しづつ変化します。
(73)Eaely Cycladic Ⅱ、Chalandriani,Siros 2800-2300BC
エーゲ海キュクラデス諸島出土・ギリシャ美術の源流・1980年国立西洋美術館
(♀)の〇が頭になるパターンです。
(74) Eaely Cycladic Ⅱ、Chalandriani,Siros 2800-2300BC
エーゲ海キュクラデス諸島出土・ギリシャ美術の源流・1980年国立西洋美術館
(♀)の縦軸が頭になるパターンです。
(75) Eaely Cycladic Ⅱ、Chalandriani,Siros 2800-2300BC
BC6,000年初期; 古ヨーロッパの神々 マリア・ギンブタス
(♀)の〇が下半身になるパターンです。
(76) Eaely Cycladic Ⅱ、Chalandriani,Siros 2800-2300BC
エーゲ海キュクラデス諸島出土・ギリシャ美術の源流・1980年国立西洋美術館
(♀)のような丸い頭と女神を表す(▽)の頭です。(▽)は二枚貝が「雨による平衡の女神」の顕現になったことに起因します。(参照)
(77)Eaely Cycladic Ⅱ、Chalandriani,Siros 2800-2300BC
エーゲ海キュクラデス諸島出土・ギリシャ美術の源流・1980年国立西洋美術館
こうして、前述の色々な要素が組み合わさって完成形になります。
(78)大理石製平衡の王女像;キュクラデス諸島、シュロス島、クマサ島(左より)
Eaely Cycladic Ⅱ、Chalandriani,Siros 2800-2300BC
ARCHEO・エーゲ海文明
グループ(部族?)により、島ごと、時代ごとにいろいろに変化していきます。(♀)から変化したことがこれらからは分かりずらくなりました。「 Eaely Cycladic Ⅱ、Chalandriani,Siros 2800-2300BC」以降には、青銅器の武器を持ったインドヨーロッパ語系やカフカス人の南下が、エーゲ海・キクラデス文明を変化させていきます。(バルカン半島の表象を精査していくと、黒海大洪水の後コーカサス地方の影響が広く早く広がっていました。写真(73)からすでにその影響下にあったようです。次回)このことは「クレタ文明」で触れることになります。そして「ハートの表象が語ること」(参照)に繋がっにいきます。
写真(71)ひっくり返した一番右の女神像には「雨」を表す「穴」があいています。半〇の表象は「半分の太陽」を表すので、「太陽と雨による平衡」を表すためには「雨」の「穴」が必要になります。サン・サルバトーレ(救世主)教会では「井戸」が「水・雨」を表しています。
(63)ヌラーゲ時代の聖なる泉の上に建てられたサン・サルバトーレ(救世主)教会
地中海の聖なる島サルディーニャ
(64)ロマネスク様式(Romanesque)の教会平面図
ROMANESQUE ULLMANN & KONEMANN
「 井戸」がないときは「香炉」、「シャンデリア」などの丸い造形物がその位置に置かれます。また「アーチ形」は「半分の太陽」を表している事が解ります。ロマネスク様式(Romanesque)の教会の正面入り口は「アーチ形(半分の太陽)」に「短冊形(雨)」で表象されています。また「火と雨による平衡」と「太陽と雨(水)による平衡」の両方を併せ持つ造形物には「前方後円墳」や「自由の女神」があります。
「太陽と雨(水)による平衡」は「サルデーニャ島の表象」で詳しく見ていきます。
(65)大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)、大阪府堺市
それにしても、サッカー・ワールドカップでは肩の「横たわる三本線(雲)」からユニフォーム前面に「刺し子の雨」を降らせ、アジア大会では前面の三角(遍在する女神)ですか。女神頼みですね。確かに「イシュタル」は初めての「戦いの女神」でもあります。葦(パピルス)を束ねたものが盾として使われたためです。ここでまた「イシュタル」と葦(パピルス)というキーワードが登場しました。後日現れることでしょう。