形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

トピックス(9)「イシュタル」の表象(3-6)

 

 

イシュタルの表象・「手」(6)

様々なhamsaの源流 モロッコのユダヤ人

「八芒星」の誕生

 

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(27)「八芒星」染色亜麻布、シリア、パルミラ 1世紀

   オリエントの文様 小学館

 

「六芒星」誕生のヒントを与えてくれた写真(4)Wedding Contract(結婚契約書)には、「八芒星」誕生の経過も描かれています。「八芒星」誕生の意味が分かる貴重な資料です。そしてこの「八芒星」の意味は写真(27)「八芒星・染色亜麻布」の文様で確認することが出来ます。

写真(27)の「八芒星」は、一つの四角を「□に・(輝く雨)」で埋め尽くし、もう一方の四角は「▲▲▲(女神)」が連続します。「輝く雨の女神」こそが「八芒星」であることを物語っているのです。

 

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 (4)Wedding Contract(拡大)

 jews MOROCCO; MERELL

 

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(28)「八芒星(輝く雨の女神)」和久ノート(参照)

 

シリアの地においては、先の「六芒星」も写真(29)のように「雨粒」を伴った「雪の結晶の花」としてゴールド・アクセサリーになっています。

 

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(29)雪の結晶の花と雨粒のネックレス シリア BC1,700年頃

古代シリア文明展図録

 

 このことは「Phoenician(フェニキア人)」の地中海全域における交易が、BC3,000年頃生まれたイベリア半島の概念を、そのままシリアに伝播した結果だと考えると、BC2,000年頃の西アジアに「六芒星」とこの形の「八芒星」が現れることを理解することが出来ます。(もう一つの違う概念から生まれた「八芒星」はバルカン半島からアナトリア、コーカサス、西アジアにBC3,000頃以前に伝播しています。)

ついでながら、2,016年頃の考古学研究では「Phoenician(フェニキア人)」のY-DNAが採取され「U5b2c」あることが発表されています。だとすると、「Phoenician(フェニキア人)」とは、北アフリカからイベリア半島を通ってヨーロッパに進出した「Solutre culture(ソリュートレ文化)」期の部族であることになります。(参照)

 ヨーロッパに進出した後、「雨の女神」誕生の原因となる「隕石の衝突」(参照)

で地中海沿岸に逃げた部族です。ちなみに北と北東へ逃げた部族は「U5a」に分岐しています。

それにしても、 写真(27)「八芒星・染色亜麻布」の文様がBC3,000頃のイベリア半島の概念をそのまま留めている事には驚きます。

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