イシュタルの手(3)
イシュタルの舟から藁龍へ
大河内神楽(宮崎県・椎葉神楽)・柴荒神とディオニュソス(2)
(44)大河内神楽の「面棒」を手に舞う「柴荒神」;別冊太陽・祭礼、平凡社
(45)「イシュタルの手」の変容;和久ノート
写真(45)を見て頂けば「柴荒神」が持つ「面棒」は、手(雨)と棒でつくる「✙・平衡」と「短冊形・輝く雨」を「雨粒の球状」にし、両サイドに配した形で、「輝く雨による平衡」を表象することが理解できると考えます。「平衡」とは「調和」、「バランス」が取れている状態をいう言葉ですから、「平衡」となる対象物により、違った表現になります。
アメリカ大陸の先住民「ナバホ族」は「ホウジョウ」という言葉を伝承しています。彼らは「ホウジョウ」を「自然との調和した良い状態」の意味に使っています。つまり、「平衡」が「自然界」に働けば「ホウジョウ」となるわけです。「自然界」を狭義にとらえれば、我々が使用している「豊穣」の意味が出てきます。つまり、「自然との調和した良い状態」なら「豊穣」になります。作物に限れば「五穀豊穣」となり、「平衡」が「社会」に働けば、「天下泰平」になります。「出産」ならば「安産」となり、「健康」ならば「家内安全」です。実は、「神社」の「ご利益」とは「平衡」であるわけです。
「柴荒神」が最後に、「面棒」を神主に譲ることは、「神社」に「平衡」を授ける力を与えたことを意味しているのです。
「柴荒神」は「山の平衡の神」だとわかります。そして、「ディオニュソス」もまた、同じ「山の平衡の神」であることを、後で「ミノア文明の遺物」から証明します。
そこで、ルーツは同じでも「柴荒神」は「面棒」を持ち、「ディオニュソス」は「三葉(生命の樹)」を手にしている意味も理解されます。
ただ「柴荒神」は、「酩酊して乱舞する人々」、「樽面」の登場、そして酒(酒樽)との結び付きなど、イシュタルが「ディオニュソス」に変容した後の伝播を考える必要があります。
その前に、 「柴荒神」の後から登場する、「綱荒神」もまとめなくてはいけません。
「綱荒神」は「外神屋」が「イシュタルの舟」とみなされることにより、「神楽」の祖型を留める「諏訪神楽」や「比婆荒神大神楽」の構図(参照)と同じように、「藁蛇」に宿った祖霊の「浄土入り」がテーマになっています。イシュタルの一つの神格・冥界の女神が変容して、顕現した姿と考えられます。
こうしてみると、「柴荒神」と「綱荒神」は「山の平衡(豊穣)の神」・イシュタルの姿を変えた顕現であることが解るのです。
戸下神楽(諸塚神楽)
番付「岩戸」下の春日大神。両手の指を交互に合わせて印を組み、念じながら天照大神を招き出す。;別冊太陽・祭礼、平凡社
次回は「柴荒神」と「ディオニュソス」 の関係を、イシュタルの、いわゆる「天孫降臨」に見ることを、「ミノア文明の遺物」から証明しようと思っていました。その準備段階で、戸下神楽(諸塚神楽)の「春日大神」と「天照大神」の関係は、日本でイシュタルの、「天孫降臨」が神話になっていく過程を物語っていることに気づきました。先ず戸下神楽(諸塚神楽)を見て、「高天原」、「クレタ島(イタリア半島南部、シチリア島も含む)」、「宮崎県」の関係を調べていきます。「天孫降臨」が神話ではなく、数多くの場所で起きた歴史的な部族の移動(参照)と考えられ、なかでも「クレタ島」、「宮崎県」では同じようなことが起こり、遺物や伝承、行事や儀式、文化(神楽)にその証が残っています。「宮崎県」の他の歴史的遺物や文化についてはまだまだ不勉強ですが、「クレタ島」同様に文化的な学術研究がなされるべき場所のようです。「宮崎県」の山地に、柿や野ブドウ、稲、銀杏、水牛などの新種は見つかっていないのでしょうか?お知りの方は是非お知らせをください。少なくとも「宮崎県」の「神楽文化」は、世界が注目するべきイシュタルの「天孫降臨」を「クレタ島」のミケーネ文明と同じ様に残しています。
降臨した女神
クレタ島に降臨したイシュタル
戸下神楽(諸塚神楽)、番付「山守」(イシュタル)
次回はこの証明から入ります。
(3)円筒印象印影、手に「生命・復活の水の容器」と「生命の樹」の表象」を持つイシュタル、ラルサ、イラク、BC1,834~1823年;円筒印章 東京美術(参照)
(11)イシュタルの円筒印象印影、古バビロニア時代;円筒印章 東京美術
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(60)Burney Relief・イシュタル、メソポタミア文明;wikipedia(参照)