イシュタルの手(3)
戸下神楽(諸塚神楽)・「山守」とイシュタルの降臨
ディオニューソス;カール・ケレーニイ著、岡田素之(訳)、白水社
これまで見てきた神楽は、すでに霊山に鎮座する「荒神」が来訪して、豊穣を授けたり、死者を浄土に迎え入れたりしていました。「戸下神楽」の番付「山守」、「岩戸・上下」は根本的に違うテクストを見せています。「別冊太陽・祭礼、平凡社」の山本ひろ子氏、渡辺信夫氏、「宮崎の神楽」の山口保明氏の文章、さらには宮崎県文化財課のyoutubu動画から得た情報の番付「山守」では、突然、「山守」は「杖」、「笠(花笠)」、「蓑」の異装姿で神主のいる「御神屋」の下にやってくるのです。素性と来訪の趣旨を尋ねる問答が始まり、神主は納得して「御神屋」に入れます。「御神屋」で対座した「山守」と神主、「宮崎の神楽」の山口保明氏は、一番大切な場面をよく描写しています。
「山守」は「杖」を神主に、「笠(花笠)」と「蓑」を村方に譲ります。神主は「山守」に「面棒」(写真45参照)と「御幣」(写真30参照)を渡しますが、「山守」は納得しません。これは「自然界での表象」と、「神事における表象」を互に交換する場面です。互いに相照らしていなければいけないのです。「山守」はなぜ納得しないのでしょうか?そこには「山守」の正体が暗示されているのです。そしてここでは「別冊太陽・祭礼、平凡社」に「神楽の秘曲山守」を執筆した渡辺信夫氏の細やかな情報が、正確な解釈を助けてくれます。
(48)戸下神楽(諸塚神楽)、番付「山守」;別冊太陽・祭礼、平凡社
渡辺信夫氏の説明です。「笠は花笠で、笠の縁には切餅と穴明銭を吊るす。」、「蓑は山守葛の巻いた榊を輪の形にしたもの」、「杖は椎・榊などの木に蔦(山守葛という)が全体に巻き付いたもの」。
写真(32)と写真(45)を参考にして考えてください.「穴明銭」は「同心円」で「雨(水)」、「切餅」は長方形のかたちでは「輝く雨」です。七夕の「短冊」の形です。「餅」には「豊穣」の意味もあります。「丸餅」だと「雨による豊穣」で、祝い事では「雨」のように「丸餅」をまきます。ちょうど「東京オリンピックのシンボルマーク」が「同心円」と「輝く雨」の組み合わせになっているのもわかります。「蓑」も同じ「雨」を表す円形ですが、「葛」が巻いています。「杖」は「手(雨)」との組み合わせで「雨による平衡」を表しています。そしてこの「杖」にも「葛」が巻いています。合わせ見ると「輝く雨による平衡」+蔦(山守葛という)+「餅(豊穣)」で「山守」の異装姿は成り立っていることが分かります。
これらの「山守」の「自然物での表象」に対し、神主は「面棒(輝く雨による平衡)」と「御幣(輝く雨による平衡)」を返しています。蔦(山守葛という)+「餅(豊穣)」の表象に見合うものを渡していないのです。「山守」が納得しない訳です。
(49)戸下神楽(諸塚神楽)、番付「山守」、閉じた扇を持つ山守;宮崎の神楽、山口保明著、みやざき文庫
ここで村方が持ってくるのが「酒」です。「山守」は納得し、「神主」と仲直りの「盃事」となります。こうしてみると「酒」は蔦(山守葛という)+「餅(豊穣)」と同じ表象とみなされていることに気づきます。
カール・ケレーニイの「ディオニューソス」に、異教末期(いかにもヨーロッパの概念、キリスト教以前)のギリシャ叙事詩「ディオニューソス譚」が紹介されています。
「また山々には人手を経づにおのずと生えた葡萄の実、高々と育つ、と。むかしは、いまだ、この果実、高貴なる葡萄木の名を得ず、藪の中にて夥しく(おびただしく)絡み合う蔦と荒々しく結ばれて芽吹いていたが、そのありさまは葡萄酒を恵む植物なる葡萄木の森となり、その植物の汁は、たわわにみのる重い房より沸いて流れた。」
これは「山ぶどう」が大木になるアナトリア(小アジア)を謳った叙事詩だといわれています。「蔦(ぶどう科)」は「山ぶどう」と等しく神聖視されていたことが分かります。「酒神ディオニューソス」は「蔦(ぶどう科)の冠」を被る神でもあります。
日本語古語でも「山ぶどう」は「エビカヅラ」と呼ばれていたように、「ぶどう科のつる性植物」、「山ぶどう」、「蔦」、「葛」の区別はなかったようです。
「山守」の「蓑」や「杖」に巻き付いている「蔦(山守葛)」は「山ぶどう」から作った酒(葡萄酒)を表し、「切り餅」と併せて、「豊穣」のシンボルとなっていたのです。
「山守」の異装姿は自然物で「輝く雨による平衡と山ぶどうによる山の豊穣」の表象だったのです。そうです。イシュタルの表象と同じです。この後の神楽で、神主に奉じられて事で、イシュタルの変容した神々のみが持つことを許されている「面棒(輝く雨による平衡)」を、写真(50)のクレタ島,クノッソス・聖域に顕現したイシュタル(地方により呼び名が変わる)が持っていても、不思議なことではないのです。
ここで一つ、興味深い情報があります。「環境省」のHPに、宮崎県、熊本県、鹿児島県だけに分布する絶滅危惧IA類として、「山ぶどう」と同属の「クマガワブドウ」が紹介されています。 ぜひDNAで、世界のどの種に近いのか調べて頂きたいものです。
さらに「切り餅」による「豊穣」については改めて書くことにします。大河内神楽の「外神屋(イシュタルの舟)」(参照)にも「種籾」は高天原に置かれ、戸下神楽(諸塚神楽)でも「御神屋」の神棚に置かれています。別冊太陽・伊勢神宮(2018年発行)でも巻頭で、神宮禰宜で神宮司庁広報室長の河合信如氏が、次のように書き記しています。「瑞穂の国では、稲作もまた天上世界から地上にもたらされたものとして語り伝えられている。」。そして今、縄文時代晩期の宮崎県桑田遺跡からも、ジャポニカ種の陸稲栽培を示すプラント・オパールがj見つかっています。やっと、神話や神事で語られる事実に、現実的な調査研究が追い付いてきたようです。私の調べたところでも、大東文化大学の「コメの道・地中海地域における米作社会の研究」などを読み、さらに、ブドウ栽培と水牛のチーズ、米作は、コーカサス地方の表象とともに伝播している様子が確認できるのです。稲作儀礼を守っている「ミャオ族」の故地も、カッパドキア北方の黒海沿岸地方を彼らの表象は指示しています。いずれまとめます。
(50)聖域に顕現したイシュタル、クノッソス出土
ディオニューソス;カール・ケレーニイ著、岡田素之(訳)、白水社