イシュタルの手(3)
戸下神楽(諸塚神楽)・「山守」とイシュタルの降臨(2)
ヨーロッパ種との交配山葡萄だと思いますが、どんな味がするのか試してみました。複雑で奥深い味わいです。これはやみつきになりそうです。私はワインよりこの風味が好きです。少量を含んだだけで、果汁なのに味や風味を十分にたのしめます。お勧めします。
山守(イシュタル)は「山守蔦」を身に纏い、この地(日向)にやってきました。縄文時代末期の頃にはアナトリアでも、「山ぶどう」やヨーロッパ種の栽培ぶどうから「葡萄酒」を作っていたようですが、コーカサス地方での最初の「葡萄酒」は、「野ブドウ」から作られています。ですから葬祭絵画などでは「シレノス」やディオニュソスは「野ブドウ」とともに描かれています。コーカサス地方を故地とする部族にとって、「聖なるぶどう」は「野ブドウ」なのです。写真(27)を見てください、「野ブドウ」の葉は「蔦の葉」と同じです。ディオニュソスが蔦の冠姿で描かれるのも同じ理由です。
(27)カルロ・ルスピによるETORURIA,タイクィニア、トリクリニオの墓・葬祭絵画複製画(BC470年頃)(参照);足元に野ブドウが見える。
エトルリア文明(古代イタリアの支配者たち)ジャン・ポール・ティリエ;創元社
乾燥を好むヨーロッパ種のブドウの木は、南九州でj育つことはなかったと考えます。日本の「エビカヅラ」から作る縄文ワインも、北の寒冷地で見られます。それでも、山守(イシュタル)の「山の豊穣」とは「野ブドウ」から始まる葡萄酒の恵みですから、「山守蔦」で「山の神の豊穣」を表象したのです。
しかし、豊穣を示す山の神には「酒」が必要です。
ここで、「野ブドウ」から始まる神の葡萄酒を、異なる視点で見たとき、気づくことがあります。
「山守蔦」を身に纏い、「山の豊穣」を示す部族が持っている知識と技術とは、何より「発酵」です。
コーカサス地方ではBC8,000頃に「発酵」は知られていたようで、科学的な証拠も見つかっています。世界で一番早く葡萄酒が作られたのも当然です。「発酵」の伝播も部族の移動を探る手掛かりになります。そして、移動先の食材で「酒」や「発酵食品」を作っています。クレタ島では、「蜂蜜酒」の始まりが、ディオニュソスに結び付けられています。また、ディオニュソスはゼウスを「蜂蜜の洞窟」で育てたことが、神話化されています。
北郷泰道氏の「古代日向・神話と歴史の間」には、「酒」に関する「日向神話」と伝承を取り上げています。
「日向神話」で「神の稲」から醸造された「天甜酒(アメノタムサケ)」が、「御神酒」のはじまりとされること。
また伝承ではそれは「母乳代わりの甘酒」とされ、「都萬神社」が日本酒発祥の地とされていることです。
この伝承は非常に興味深いことです。
これから紹介する戸下神楽の「岩戸 上・下」では「春日大神」は「天照大御神」を育てます。「母乳代わりの甘酒」伝承が、「ディオニュソスの蜂蜜(蜂蜜酒)」と同じ展開になっているように思えるのです。「イシュタル→ディオニュソス→ゼウス」と「山守→春日大神→天照大御神」の神格は同じ展開をします。
「イシュタル」・山の豊穣、ディオニュソス・栽培ぶどうの豊穣、「ゼウス」・天空神
「山守」・山の豊穣、「春日大神」・X,[天照大御神」・太陽神
つまりXに「神の稲」が入れば、山の神から農耕神そして、農耕社会を統べる天空神、太陽紳の誕生となります。社会の変化が、「(火と)雨による平衡」(参照)から「太陽と雨による平衡」(写真66-3)の変容を生んだと考えられます。
「古代日向」で、米を発酵させて、甘酒やどぶろくをつくった歴史は、長い間、農家に受け継がれ、現在の「宮崎県どぶろく特区(国の認可)三股町、国富町、高千穂町」につながっています。宮崎県にとって甘酒やどぶろくは歴史そのものです。一度味わってみたいものです。
子供のころ、徳島県の山奥の私の家では、秋祭りには、かならず大量の甘酒を作りました。麹の風味のする甘酒から飲み始めて、まろやかになり、さらに「発酵」が進んで、酸味が出た甘酒を飲み、最後はどぶろくをいただきました。今解りました、「古代日向」からの送り物だったのでした。
さらに、北郷泰道氏の「古代日向・神話と歴史の間」には「神の稲の穂」という名の古墳が紹介されています。「男狭穂塚(狭は神の稲の穂)」と「女狭穂塚」です。「野ブドウ」が雌雄異株だったことで、コーカサス地方では「銀杏」、「月桂樹」なども神聖な木とされました、この概念が、神聖な「神の稲の穂」を雌雄異株に見立てたゆえの命名だと思います。日本の神社に「銀杏」の木が植えられているのも、理解できます。
大きい「銀杏の木」と、「野ブドウ」の「懸魚(けぎょ)」が見られる神社(参照)が千葉県にもあります。イシュタルの降臨は色々な所でも起こっていたようです。参照ブログの当時は「野ブドウ」と「ミノア文明」の関係を理解できていませんでした。
「戸下神楽」が伝える情報は貴重なものです。「日向神話」の大元になったことが、「日向」の縄文末期から古墳時代に起こり、そのことにつじつまを合わせるように「古事記」、「日本書紀」が編纂され、さらに伝承を変容し、「古事記」、「日本書紀」に合わせた「日向神話」が書かれたとしたら、「戸下神楽」が「日向」の縄文末期の概念を正しく伝えていることになります。宮崎県戸塚村の綟川家が一子相伝で演じてきた「山守」と同じように「春日大神」、[天照大御神」も綟川家の大切な演目です。縄文末期と、弥生時代から古墳時代の二つの「天孫降臨」の意味を知るためにも、戸下神楽の「岩戸 上・下」を見ていきましょう。
(41)ETORURIAパテラ 銀、鍍金、野ブドウと葡萄酒用の壺を持って浮かれる「シレノス」;パレストリーナ、コロンベッラ墓地、ベルナルディーニの墓、イタリア(BC7世紀第一四半期)・参照
黄金伝説展 古代地中海の秘宝 国立西洋美術館図録
ついでながら、 「シレノス」の右側には「鹿」のいる山が描かれています。「鹿」も故地を偲ぶ動物で、彼らは神聖なものとしています。山を表す、「鱗型の表象」もコーカサス地方の部族の表象です。彼らの移動先で使われています。もちろん、ミノア文明でも現れます。(参照)。「鯉」は「こいのぼり」に見られるように、この「鱗」故に、めでたい魚となります。
(66)平衡の王女;1,2,Karanovo culture,Bulgaria,c.BC5,800.(火と雨による平衡)
3,Ozieri culture,Sardinia,c.BC4,000~BC3,800.4,Venedian culture,Poland(太陽と雨による平衡)
The Language of GODDESS Marija Gimbutas
ミノア文明の表象;古い和久ノート
整理が必要ですが、古いノートです。ミケーネ文明に「日向神話」の「海幸」の子孫「隼人」が盾に使用した文様が見られます。ミノア文明末期にも表れています。