形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Chalcolithic(金石併用時代)ー1

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(4)Dolmenns of Russia ringingcedasofrussia.org(巨石文化の墳墓)

 

「イシュタルの表象(3-29)」を書いている途中ですが、どうしても述べておきたいことがあります。今、コーカサスカフカス)山脈の北と南の文化を比べ、「知識の杖」と「イシュタルの表象」が相互に、どの時期に伝播したのかが焦点になっています。この時、北のステップ地帯の文化の流れが、比較的解り易いのに比べて、コーカサス地方の文化は、ジグソーパズルの「失はれたパーツ」のように、時間と空間に大きな空白があるのです。過去の歴史学者が、意図的に隠したパーツだとは考えたくはないのですが、周りのパーツが揃っているのですから、推察することが広く行われていてもよいはずです。時間空間的に周りの文化から「失はれたパーツ」を推察してみたいと考えます。この時、歴史学者に否定的に扱われている「Chalcolithic(金石併用時代)」と「Krasnodar」がキーワードになると確信しています。それは文化の過渡期で済ますことのできない、時間の長さと人類に大切な文化の様相を呈しているのです。

 大コーカサスと小コーカサスに挟まれた、黒海カスピ海を結ぶ、ジョージアアゼルバイジャンアルメニアのトランスコーカサスの地に、人類が到達したのは出アフリカを果たした初期の頃になります。少人数の多数の部族がこの地に定住したことは、現在まで残る、コーカサス諸語と呼ばれる言語の、驚くほどの多さと複雑な親縁関係で解ります。湿潤なトランスコーカサスの気候と、コーカサス山脈の高度差による多彩な森林植生は、BC7,000年頃から農耕、山羊、羊、水牛などの飼育、野生果樹の栽培を促します。

コーカサス山脈を栽培植物起源地とするものには、リンゴ、ブドウ、ナシ、サクランボ、スモモなどがあります。当時淡水だった黒海沿岸には水牛が群れ、小麦が栽培されていたことでしょう。黒海大洪水のあと、世界に散らばったコーカサス地方文化の産物や技術は、部族の移動経路を考えるヒントとしても重要です。複数の野生小麦とフラットパン、ブドウとワイン、水牛とチーズ、葦の舟と水上生活、鉱物焼き戻し陶器,段々畑と灌漑、車輪、発酵,金銀細工、鳥女神(翼を持つ女神),石工(石を切り出し石を積む)などなどです。個人的には、柿、稲も調べています。

BC6,000年頃からのコーカサス地方の文化は、ジョージア東部、アゼルバイジャンアルメニア北部、すなわち、「Shulaveri-Shomu culture」,「Goytepe culture」などの文化からも探ることができます。しかし、BC4,000から3,700年頃に始まる「Maykop culture」まで、「Maykop culture」のジョージア東部からコーカサス山脈西側に至る文化は語られません。

「失はれたパーツ」とは、言及されない、BC,6000~BC4,000年頃、ジョージア東部からコーカサス山脈西側の「Maykop culture」の地域になります。

しかし、推察する遺跡、遺物は残されています。

勿論、黒海大洪水を考えなければ、この空白は説明できません。逆に、黒海大洪水を考慮に入れると、BC,6000~BC4,000年頃のトランスコーカサス・諸文化の繋がりが、わかりやすくなります。

 先ずはBC4,000年頃から「Maykop culture」と供に現れた「Dolmen」をみていきます。「Dolmen」と一般に言われていますが、はっきり言えば「石積の墓」です。「死者の家」と表現した方が解り易いでしょうか。これ以後の、世界に現れる「石積の墓」の原型が、ここにはあります。そしてそれは、「yamuna culture」のスラブ系部族に追われて、世界に散らばったコーカサス地方部族の移動先を示し、継続する後の文化を説明します。これまで、表象の繋がりを見てきた「ピラミッドと舟」や「鳥(主にハゲワシ)と死者・鳥葬」などもそうです。日本でも「古事記」のなかで「鳥」と「死者」は結ばれています。そして「鳥居」の組み方は「石積の墓」の正面から、変容したことが解ります。

「石積の墓」に表されている表象は「雨による平衡の女神」です。この時点で「雨による平衡の女神」は「冥界の女神」ともなり、「イシュタル」に変容したかとが解ります。この変容には「死者」と「舟」を結びつける、埋葬儀礼が確認できます。のちに説明します。「イシュタル」は黒海大洪水の後、「Maykop culture」の領域で生まれたことは確かです。そして「イシュタル」と「ハゲワシ」(参照)も、同じときに結び付けられ、「イシュタルの舟」(参照)の概念も生まれています。

この「石積の墓」で見つかった人骨の染色体ハプログループは、この部族がトランスコーカサスに以前からいたことを示しています。そして、「Maykop culture」の西側領域には、BC6,000~BC4,000年頃の文化的な空白が認められるのです。これらを推測すれば、この「石積の墓」を作った部族は、「黒海大洪水」の時に東に移動して、再び戻ってきたか、または、トランスコーカサスの中央や東からやってきたものと思われるのです。トランスコーカサスの中央や東には、西側で空白のBC6,000~BC4,000年頃の文化が認められるのです。特に、新石器時代から金石併用時代(銅器時代)への興味深い変化が、この地域で見られます。「Shulaveri-Shome culture」から「Leyla-Tepe culture」です。そしてそれならば、その文化は「Maykop culture」にそのまま繋がるはずです。言い換えれば、「Maykop culture」の祖型ともなる文化が、「Shulaveri-Shome culture」から「Leyla-Tepe culture」で見つからなければなりません。

 

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(1)www.jlifeus.com

 

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(2)wikipedia

 

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(3) wikipedia

 

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(5)Dolmens of North Caucasuswikipedia(家型墳墓、神殿の原型)

 

 

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 (6)Dolmens of North Caucasuswikipedia(ピラミッドの原型)

 

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 (7)biglobe.ne.jp

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 (8)Dolmenns of Russia ringingcedasofrussia.org

 

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 (9)RUSSIA BIYOND rbth.com(鳥居の原型)

 

 

 

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