形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Chalcolithic(金石併用時代)ー1-2

 

 

 

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(1)ダルガウスの家型墳墓群、北オセチア共和国

 

BC6,000~BC4,000年、すなわち黒海大洪水が起こった期間の遺跡が、大コーカサス山脈と小コーカサス山脈の間ートランスコーカサスの中部、ジョウジア、アルメニアアゼルバイジャンにわたる地方に存在します。「Shulaveri-Shomu culture」の文化圏です。ここには黒海大洪水以前のトランスコーカサスの文化があり、新しい地層からは金属物が発見されています。まさに「Chalcolithic(金石併用時代)」の始まりが考えられます。

 

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入院中 連絡用メモ帳に描いた 自画像

長らくお待たせいたしました。また再開します。これからは、形而下を離れ、私の仮説としてお読みください。

 

ジョージアの地は、アフリカ以外で最古の遺跡や人骨が見つかっている場所です。その長い人類居住地の歴史が、新石器時代・細石器の文化状況で中断した痕跡がPaluriやKobuletで確認されるそうです。そして、同じ細石器の文化がShulaveris GoraやIrmis  GoraにShulaveri-Shomu cultureとして再び、BC5,000年代に現れます。ちなみに、「Gola」とは「山・丘」を意味しています。このことの説明として、BC5,600年頃に起こった「黒海大洪水」が考えられます。居住地を湖や川の近くではなく、高原に築いたのは、トランスコーカサスの川は大洪水によって、消えていたと考えられます。

この高原への移動は、人類の文化を大きく進めることになります。

 

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(2)Shulaveri-Shomu culture

 

この小コーカサス山脈北麓地帯に始まった「Shulaveri-Shomu culture」は、おそらく初期において、大洪水以前のジョージア低地の文化を再現しています。泥レンガの丸い住居、小麦や大麦の穀物栽培、ブドウなど果樹の栽培、豚、山羊の繁殖、土器の装飾や研磨、着色などです。「椅子に座す女神像」も発見されています。これは「チャタル・フュユク遺跡」と同じヴィーナス像(出産の女神)(参照)で、大洪水以前のジョージアが肥沃な三日月地帯やアナトリア東部と文化を共有していたことを示しています。この一帯の出産は椅子に座って行われたため、「出産の女神」は椅子に座します。そして、後に「椅子」は出産の象徴になり、「Silphum(シルフューム)(参照)を象徴するハートの図案が良く使われました。

また小コーカサス山脈北麓地帯への移動は、銅鉱脈との出会いをもたらし,「Shulaveri-Shomu culture」の末期の地層からは人類が銅冶金の時代に入ったことが知られています。

そして地図(2)で言えば、(14)、(15)の「Shulaveri-Shomu culture」の東側からアラクセス川(Araxes river)に至るアゼルバイジャン、アグダム地区に、新しい文化が生まれ始めたのはBC4,350年頃になります。レイラーテペ文化(Leyla-Tepe culture)です。高原への移動は金属鉱山近くの居住を促し、そこに住む数部族は「銅冶金技術と金属加工技術」を手に入れます。ここに銅器時代が始まり、徐々に青銅器時代に進んでいきます。

金石併用時代(chalcolithic)と言う言葉は、この「金属冶金技術と金属加工技術」を持って、「Shulaveri-Shomu culture」、「Leyla-Tepe culture」の部族が、小麦や葡萄などのよりよい耕作地、金属鉱脈を求めて拡散する時代に当たります。

 

BC4,000年頃になると、トランスコーカサスの洪水は収まり、クラ川(Kura river)やアラクセス川(Araxes river)が現れます。「Shulaveri-Shomu culture」、「Leyla-Tepe culture」の部族は、二つの大河にそいながら、拡散していきます。「Kura-Arsxes culture」、「Maikop culture」が始まります。

この拡散はクラ川中流域のシオニ川(Sioni river)地域で作られた陶器の広がりで図ることができます。そしてこれは、続く「Kura-Arsxes culture」、「Maikop culture」の文化要素地域と重なっています。アルメニアアゼルバイジャンチェチェン、ダゲスタン、ジョウジア、イングーシ、北オセチア、イラン、トルコにまたがる広範囲です。

 

この様に黒海大洪水の後、小コーカサス山脈の北部高地に避難した多くの部族は、新たな文化を携えて広範囲に拡散しています。

 

そして、特に私が拘るのは、「金属冶金技術と金属加工技術」を持って旅立っていった部族の行先です。なぜなら全く新しい技術は、新しい生活文化と概念を生み出したと考えるからです。長いあいだ調べ続けてきた「表象の概念」はこれらの部族の移動と重なるのです。多くの資料に目を通しても、このことに触れたものに出会いませんでした。

 

私の推論は膨らみます。「金属冶金技術と金属加工技術」を持つ部族が向かう先はどこでしょうか。

当然、金属鉱床を求める移動になります。そう考えると金属鉱床の宝庫・コーカサス山脈となります。川に沿った移動を考えると、クラ川(Kura river)からコーカサス山脈に分け入るテレク川(Terek river)が有力です。そしてテレク川(Terek river)はジョウジア、チェチェン、ダゲスタン、イングーシ、北オセチア、ロシアを流れています。

クラ川(Kura river)中流域でシオニ川(Sioni river)やクラ川(Kura river)上流域とテレク川(Terek river)に進んだ部族は違う生活

文化と概念を作っていきます。写真(1)ダルガウスの家型墳墓群、北オセチア共和国に繋がる生活文化や概念は、テレク川(Terek river)に進んだ部族が発展させたものだと考えます。

いよいよコーカサス山脈に、金属鉱床を求めて分け入った部族の文化を見ていきましょう。多くの形而下の石が、道案内してくれます。

 

 

 

 

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