遺物、遺存体にみる「Shulaveri-Shomu culture」の部族移動
赤司千恵さんの「植物考古学からみた古代の酒」を読ませていただきました。非常に興味深い論文です。その中で貴重な学術的事実を知りました。銅器時代の遺存体として、葡萄の種子と果皮が見つかっているのは、ギリシャ北部のDikili Tashと南レバントだそうです。突然「金の採掘と黄金文化」が。同じ銅器時代に現れた領域に重なるのです。(Chacolithic金石併用時代1-3参照)
そしてもう一つ、Yahoo二ユースから
ロシアアカデミーの発表として、Maykopのクルガン墓から、金銀のストローが発見されたそうです。シュメル人の都市国家がメソポタミアに現われた頃、円筒印象などに描かれた、ビールを飲むストローと同じものだそうです。
「Maykop culture」は遺伝学的に、コーカサス山脈南西部の部族のものであることが証明されています。ここでもコーカサスからメソポタミアへの、部族の移動が考えられます。
黒海大洪水を逃れた部族による(ノアの箱舟)のような「Shulaveri-Shomu culture」で培われた文化の伝播は、金冶金の技術を持ちクルガン墓を築く、富を蓄えた部族が最初だったと考えられます。金鉱山を求めての移動だと解ります。
BC6,000頃には、ジョージアでワインは作られていました。当然「Shulaveri-Shomu culture」では野ブドウから栽培やワイン作りは、もっと進化していたはずです。そしてBC4,000年頃に本格的な移動が始まったとき、コーカサス山脈中部テレク川から金属鉱床を求めてコーカサス山脈に分け入る部族が現れます。今でもその地には、アルコール度数の低いビールがつくられています。アルコール度数の低さは、前述の赤司千恵さんの「植物考古学からみた古代の酒」によれば、麦芽の成長の悪い古代のビールだそうです。
これらの事実を踏まえて「Chacolithic金石併用時代1-3」を読み返していただければ幸いです。
赤司千恵さんの「植物考古学からみた古代の酒」