速報 北海道大学の研究者グループによって、唐古・鍵遺跡から見つかった骨が「メスのヒナ鶏」であることがわかりました。鳥占い用に飼われていたと考えます。
唐古・鍵遺跡の鶏
(23)ETORURIA(エトルリア)の鶏頭;「Chevron(Cheveron仏古語)」された石刃(石包丁)表象と鶏頭(拡大)
(24)Impasto vase ;エトルリアのアルファベットが彫られている。(BC7C.)
THE ETRUSCANS;Thames & Hudson
(2)壺絵;唐古・鍵考古学ミュージアム
(3)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
これらの写真を出したことでお気づきの方も多いと思います。Camonica Valleyの岩絵に描かれたゴルゴンの変遷に答えはあります。
コーカサスのMaykop cultureから降臨する女神イシュタルは杖(バトンもあります)を持っています。(参照) 写真(25)のゴルゴンが杖を持っているのは、先住民(北イタリア)の神聖なCONCARENAの後光と習合してゴルゴンになっても、イシュタルの神性はそのまま引き継がれいることを表しています。「杖を運ぶもの」すなわち「すべてを知るもの」・「知の女神」です。CONCARENAの後光を頭に杖を持つのはゴルゴン初期の姿だと考えます。よりコーカサス的に解釈すれば、後光は「平衡の表象・蛇」になります。そして唐古・鍵考古学ミュージアムの写真(2)と同じように盾と槍や剣を持つゴルゴンも、イシュタルの「戦いの女神・勝利の女神」の神性を引き継いでいます。イシュタルはMaykop cultureの時代に「戦いの女神・勝利の女神」になっています。なぜなら西アジア、小アジア、メソポタミアでも降臨時からその神性はそなわっていました。Maykop cultureの時代にYamuna cultureとの戦いの中で付加された神性だと思います。
「知の女神」であり「戦いの女神・勝利の女神」、といえばギリシャの「蛇の女神・アテナ女神」ですね。このころに広く伝播したことも分ります。ギリシャへの部族の移動も考えるべきでしょう。
そしてまた唐古・鍵考古学ミュージアムの壺絵のゴルゴンもこの時期の表象だと思います。
(25)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
Terramare cultureの末期にかけて、インドヨーロッパ語族との戦いは激しくなり、不利な情勢の中「戦うゴルゴン」からより激しく戦う「戦う男神・
軍神」が分岐(変化ではなく分岐です。エトルリアではゴルゴンと軍神が見られます。)します。その変化は先ず「男根」の表現に現れています。写真(26)はこれまでのゴルゴンに「男根」が付いています。頭はゴルゴンのように後光か角のままです。
(26)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
やがて数少なく見つかる最後の変化が現れます。モヒカン型の羽付きのヘッドギアーです。アメリカ先住民やナガ族のルーツです。このゴルゴンから分岐した「軍神」のヘッドギアーは「鶏のトサカ」にそっくりです。戦の鳥占いに「鶏」が使われても不思議ではありません。唐古・鍵遺跡とエトルリアの「鶏」は同じ概念の元作られたと思います。
(27)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
(28)Camonica Valleyの岩絵;CAMONICAVALLEY Emmanuel Anati KNOPP
そしてこの軍神はエトルリアに引き継がれて「Mars of Todi」になります。ローマ帝国では「軍神Mars・マルス」です。
(29)Mars of Todi Etoruria Wikipedia commons
奈良五条にやってきた部族は遅れて横穴墓の部族とともにやって来た、横穴墓を築かない北エトルリアの部族だと考えています。(説明は後ほど)
神が宿る「御仮屋」の鳥居前には「鶏頭」の花が飾られていました。インド原産の「鶏頭」は私にも懐かしい花です。弥生人のDNAが濃く、弥生時代に人口の増えた(参照)徳島県三好市に生まれた私の村では、子どもの頃家々の庭先に「鶏頭」の花が咲いていました。
(30)奈良五條市東阿田町「御仮屋」;市立五條文化博物館
後ろに「念仏寺・鬼走り」の鬼面が見えます。
(31)「御仮屋」鳥居の両脇に飾られた紅白の鶏頭花
追加
東京大学大学院 理科系研究科理学部のレポートでも、弥生時代の人の流入は近畿、四国で多いことが分かります。弥生人の上陸地点を示しています。
日経サイエンスの記事(渡来人、四国に多かった?ゲノムが明かす日本人ルーツ)でも、この地区に渡来人のDNAが多いことが報じられています。横穴墓の部族は縄文人と混血したのに対して、弥生人は環濠集落を築いたこと以来、縄文人とは混血しなかったようです。驚くことにこれは現代人のゲノム分析です。
ずっと不思議でした、神代踊りの神の面はなぜ黒いのだろうか? 子どもの頃、お正月に回ってきていた三番叟の神も黒いお面でした。
サルデーニャ島の神「マムトネス」見た時びっくりしました。まったく一緒の面なのです。徳島県に弥生人の渡来が多かったことで説明がつきました。サルデーニャ島からはコーカサス由来の部族だけでなく、現地にいた部族も一緒に逃げてきていたようです。ちなみに昔の面はもっと「マムトネス」にそっくりでした。
それから「花笠」ですが、奈良五條市の「御仮屋」にそっくりですね。神の依り代なのでしょう。円墳にも似ています。