イシュタルの舟 槍の櫂
(97)Prehistoric Metal Artfacts from italy(BC3,500~BC720);British Museum発刊
(80)ナイル川の舟 土器絵 年代不詳;水中考古学と7つの海の物語
土器絵に現れた「槍の櫂」のイシュタルの舟です。写真(54)のエジプト、ナカダⅡ期(BC3,500~BC3,300)の彩文土器絵では、櫂は雨の表象(並行する斜線)になっていました。写真(80)はおそらくナカダⅢ期(BC3,300~BC3,000年頃)の後半~末期頃のものだと思われます。
何故この変化が起こったのでしょうか? それは大城道則氏の素晴らしい著書「ピラミッド以前の古代エジプト文明」に紹介されている「ヌビアAグループ文化」の遺物に現れています。この香台側面の彫り絵には、多くの重要な情報がタイムカプセルの様に詰まっています。
(54)エジプト、ナカダⅡ期 彩文土器 天理大学付属天理再考館
写真(102)香台側面の彫り絵に表されている「船団」と写真(91)の「船団」の違いはヒエラコンポリスとヌビアの違いかもしれませんが、イシュタルの舟を「船団」で表し始めたことの方が大切です。明らかに何かが変わりました。彩文土器絵はあくまで個人の骨壷に描かれたイシュタルの舟ですが、「船団」では王の死が「殉死」を伴う祭儀として描かれています。絶対的な王の権力の確立が伺えます。舟の様子もナカダⅡ期の彩文土器絵では、コーカサス概念の「平衡」や「雨の女神」の表象旗竿が立っていました。写真(91)の「船団」では消えています。写真(102)ではヌビアの王権を示す表象が立っています。
写真(54)のナカダⅡ期 彩文土器を見てください。▲ー女神を並べてギザギザ線を表した「平衡の女神」の表象は、コーカサス概念の表象で、とこかのノモス(町)のシンボルです。そして今度は写真(103)の左上を見てください。首をつられた動物の上にあるノモスのシンボルは写真(54)のノモス・シンボルです。動物はアルマジロでスペイン語に残る意味は「武装したもの」です。このノモスの武装を打ち破つた表象です。数多くのノモスがサソリ王に征服されたことを物語っています。
写真(103)King Scorpion's maceheadのサソリ王は白い王冠を被り、近くにロゼッタ(花文様)も見られます。ヌビアからの王が上エジプトを統一して、おそらくこの「macehead」の見つかったヒエラコンポリス(Hierakompolis)に居住したことと思います。
これがナカダⅢ期に起こったことです。
(102)香台側面の彫り絵 ヌビアAグループ文化(ナカダ文化と同時期);ピラミッド以前の古代エジプト文明 大城道則著 創元社
詳しくヌビアAグループ文化の香台側面の彫り絵を見ていきます。
いちばん右はズールーの概念・天の王女の神殿風の子宮です。少し角ばっていますが、相似形に積み重なっています。あっ!!
京の峯遺跡の「円」周溝墓(参照)と一緒に、コの字型の周溝墓がありましたね。あれも王女の子宮だったのでした。「船団」は王女の子宮を目指しています。コーカサスの概念の「イシュタルの舟」を取り入れながら、目指す先はズールーの概念・王女の子宮なのです。エーゲ海のキクラデス諸島・シロス島(Siros)の墓所で見つかった「王女の子宮」の中にも「イシュタルの舟」がありました。(参照)ズールーの概念とコーカサスの概念の融合は地中海地域の広い範囲で起こり、ズールーの概念を持つ部族は、同じ様な新しい解釈を作り出して、広く伝播させていたと思われます。
そして神殿の方から一番目の舟に目を移してください。後ろ手に縛られた人は「殉死者」か「生贄」でしょうか。「殉死者」を縛るなんてことがあったのでしょうか?高い場所に座っているので王妃かもしれません。大城道則氏に聞いてみたいところです。
そして後ろに舟のパドルを持って立っている人がいます。彼が手にしているのは「月桂樹型・槍のような櫂」です。「イシュタルの舟」と「月桂樹型・槍のような櫂」が揃いました。どのような解釈が考えられるのでしょうか。ほかの舟には櫂を持つ人はいませんし、彼は漕いでもいません。象徴的な櫂なのでしょうか。クフ王の舟に代表されるように、「月桂樹型・槍のような櫂」はエジプト王朝時代の長い時代に引き継がれていきます。クフ王の舟のパドル(櫓ではなくパドルです。)は大きすぎて実用品ではなく、象徴的なものとして作られています。(参照)
新石器時代、北アフリカがサバンナだった頃(タッシ・ナジュール岸壁画に描かれています)ズールーの概念を持つ部族は何千年も行ってきたように狩猟を行っていました。動物を追いたて、待っていた部族のハンターは一斉に槍を空高く投げます。(やり投げ競技の様にです)槍は放物線を描き、雨の様に動物の群れに降り注ぎます。槍は石器だった頃から月桂樹型をしていました。この刃先は大きく動物を切り裂きます。何千年も繰り返された光景です。
ナカダ1期、コーカサスの概念を持つ部族がナカダ(Naqada)、ヒエラコンポリス(Hierakonpolis)などに周壁の街を築いた頃から、その間にゲベレイン(Gebelein)と呼ばれる街が存在しました。コーカサスの概念を持つ部族は改葬墓や追葬墓などを含む合葬を墓制としますが(黒沼太一氏・西アジア考古学第19号・先王朝時代ナカダ文化期の上エジプトにおける合葬墓)、ゲベレイン(Gebelein)は単葬の街でした。つまりコーカサスの概念を持つ部族の傍にズールーの概念を持つ部族が街を作っていたのです。ここを通じてナカダ1期~Ⅱ期の間にズールーの概念を持つ部族は金の採掘や冶金を始めとする技術などを学び、多くの影響を受けたはずです。彩文土器絵に描いていた「イシュタルの舟」もその一つです。これらの情報はヌビアの同族にもたらされ、彼らの文化に融合されていきました。それが「ヌビアAグループ文化」です。
彩文土器絵に描いていた櫂の様な「雨の表象」を見た時、彼らの「雨のイメージ」は「槍の雨」だったのかもしれません。彼らは「櫂の様な雨の表象」のところに「槍の櫂」を描き始めます。
もし上エジプトのパドルが槍形なら、単に「櫂」を描いただけなのかもしれません。
私にはズールーの概念を持つ部族にとって「月桂樹型の槍」はパドル以上の概念があるように思えるのです。
(91)ヒエラコンポリス(ハヤブサの町)第100号墓の色彩絵画,BC3,300~BC3,000年頃;ピラミッド以前の古代エジプト文明 大城道則著 創元社
(103)King Scorpion's macehead;ピラミッド以前の古代エジプト文明 大城道則著 創元社
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