Ozieri cultuer Sardinia
私のtwitterの表紙写真は、北イタリア・Camonica Valleyの岩絵に掘られた「月桂樹型槍」になっています。エジプト・ヌビアからイシュタルの舟の櫂表象として使われた槍です。日本の唐古・鍵遺跡、清水風遺跡、纏向遺跡を中心とした弥生時代、古墳時代の表象をまとめるにはどうしても触れたおきたい文化があります。サルディーニャ島の「Ozieri culture」です。
写真(4)、(5)を見ただけでも、3つの文化の3人の女神の表象がみられます。時系列が大切なようです。
最初に現れるのは▽を二つ合わせた胴体を持つ女神です。ホタテ貝の二枚の▽(耳)です。
(1)「マグダレニアン( Magdale'nienne) 文化」の領域;Wikipedia
「隕石衝突」(参照) 後約1,000年続いた突然の寒冷期・「ヤンガードリアス(Younger Dryas)」期以後にヨーロッパ進出したアフリカの新人部族は「上部マグダレニアン( Superieur Magdale'nienne) 文化」期に、「雨の女神」や「sheveron/平衡」、「フクロウ」などの概念と表象を発展させながら、ユーラシア大陸を東に向かいます。一方で写真(1)を見ると「上部マグダレニアン( Superieur Magdale'nienne) 文化」はイタリア半島に広がっていることが分かります。しかし不思議なことにイタリア半島やそこから広がった地中海北岸領域の「海洋民」はこの時期、「雨の女神」や「sheveron/平衡」、「フクロウ」などの概念と表象を残していません。BC10000~9,000年頃には北アフリカには土器が現れていましたので、順次地中海領域にも伝播したものと思われますが、目立った特徴は見られません。サルデーニャ島は黒曜石の産地でもあり、交易や海運が発達していったと考えられるのですが、まだ特徴のある表象は現れていません。
考えられることは、ユーラシア大陸を東に向かった部族とイタリア半島やそこから広がった海洋民は違う時期にアフリカからヨーロッパに進出した部族だということです。
私の考えではイタリア半島の「上部マグダレニアン( Superieur Magdale'nienne) 文化」期の部族は、隕石衝突以前にヨーロッパに進出し、突然消滅(約13,000年前)した「ソリュートレ(Solutre')文化」(参照)期の部族の生き残りだと思います。イタリア半島にいて隕石衝突を生き延びた「ソリュートレ(Solutre')文化」期の部族だと思います。そうすれば彼らは隕石衝突後に生まれた概念「雨の女神」は知らないはずです。
また「ソリュートレ(Solutre')文化」期の部族でも洞窟壁画を残しているのは、ジブラルタル海峡を北上した部族で、シチリア島からイタリア半島を北上した部族にはあまり見られません。このことも表象の発達に影響があるのではないでしょうか。
ところが突然彼らが特徴のある土器を作り始めます。「Cardium pottery 」です。彼らの文化は「Cardium pottery cultur 」と呼ばれます。BC6,400年頃の出来事です。
何があったのでしょう。
(2)「Ozieri culture」 wikiwand
写真(3)の△x2の女神(平衡と豊穣の雨の女神)は「Cardium pottery cultur 」(参照)で生まれた二枚貝(ホタテ貝)(参照)の女神です。そして写真(2)の女神は上半身に女神を表す「上部マグダレニアン( Superieur Magdale'nienne) 文化」からの「女神の子宮」表象(参照)を持った二枚貝(ホタテ貝)の女神です。両文化の融合を表します。両方の女神とも「Cardium pottery cultur 」から「Ozieri culture」 初期に引き継がれています。
(3)「Ozieri culture」wikiwand
太陽を伴った女神は 黒海大洪水後の「Ozieri culture」初期の女神です。
(4)粘土板絵、Sardinia BC4,000~3,800年頃;THE LANGUAGE OF THE GODDESS;Marija Gimbutas
(5)Serra Is Araus、Sardinia の Domus de Janas(岩窟墓)出土土器の壺絵、BC4,000年期;THE LANGUAGE OF THE GODDESS;Marija Gimbutas