形而下の文化史

表象文化史・ジュエリー文化史・装飾文化史

 

Megalithic・巨石構造物 (1)・女神たちの表象

 

ブルガリアのメガリス(巨石構造物)

 

(1)Menhir(立石)at the village of Oveharovo,Haskovo;MEGALITHIC BULGARIA VAGABOND

 

Megalithic(巨石構造物)に分類される構造物は多種多様です。ひとまとめにして理解することは不可能です。いろいろな場所と時間によって、巨石で表現しようとした概念は違っています。そこで、これまでの探索によって展開した部族やその持っていた概念が理解できる「Bulgaria」に範囲を絞って精査していきたいと思います。部族、概念、形態を時間軸に沿って確認していけば、Megalithic(巨石構造物)の意味と展開が理解できると考えています。

先ずはBC7.000~6,000年頃に初めて現れた「Menhir(立石)」からです。BC6,200年頃に始まる「Starcevo culture」(参照)に先んじた時間軸になります。

 

「INDIVIDUAL MENHIRS(単独メンヒール)」

 

(2)wikipedia

(3)BrugariaのMenhirs;MUZEO VIRTUAL ARKEOTIK=VITORIA=GASTEIZ
         (Stonecircle & Menhirで検索すれば、Haskovoより広いサークルの例があります )

 

(4)BrugariaのMenhirs;MUZEO VIRTUAL ARKEOTIK=VITORIA=GASTEIZ

亀頭を表現するために、打ち欠いた部分が共通しています。北アフリカからエーゲ海を北上して来た部族が「INDIVIDUAL MENHIRS(単独メンヒール)」で表象したものは、多産、部族の存続を願った「男根」です。そして写真(3)右手の「Menhir & Stone circle」を見ると、「Stone circle」が「女性器」であることが分かります。後に現れる「大きな板石による円形立石群(CROMLECH)」とは違い、大きめの自然石で初期の「Stone circle」は築かれています。高い「Menhir」と低め自然石の「Stone circle」が対の概念を表象しています。時代背景を確認しましょう。

 

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(5)洞窟壁画とヴィーナス像の分布;分明の誕生 江坂輝彌 大貫良男(参照)

 

多産の概念を形にしたものに「ヴィーナス像」があります。後期旧石器時代(5~1万年前)に、出アフリカした部族が持って出た妊婦の肖像です。イベリア半島イタリア半島を北上したために、バルカン半島では見つかっていません。ただ当時の人類にとって、種を繋ぐことが大変であったことが理解できます。BC10,000年を過ぎても、部族を繋いでいくことは最重要な事柄だったはずです。このような状況下のバルカン半島で「INDIVIDUAL MENHIRS(単独メンヒール)」は、エーゲ海南部に現れ北上していきます。次の変化は農耕牧畜の概念を持つ「MENHIR GROUP」の登場ですから、それ以前の「INDIVIDUAL MENHIRS(単独メンヒール)」は「命を生み出す行為」の表象であろうと考えるわけです。そしてその分布を見ればエーゲ海ドナウ川の周辺に多いことが分かります。狩猟採集民であった彼らは、「Sakar」、「Haskovo」など南部高地にも築いていますが、低地平原が住み慣れた環境だったと思われます。    

そしてsesklo culture(Pre.Sesklo culture c. 7,510~6,190BC  Sesklo culture c.6,850~4,460BC)にもその概念の痕跡が残ります。

 

(6)Sesklo terracotta    6~5千年代 ;wikipedia

 

(7)Sesklo Woman figurrine c. 4,800~4,500BC; wikipedia

 

時代は下ってもSesklo cultureでは、胸を両手で持ち上げるテラコッタや、全身に生命誕生の渦巻表象を描き、お産椅子に座った母子像が作られています。多産の概念を持ち続けています。より古い時代には、より直接的な表現をしたと考えられます。それが「INDIVIDUAL MENHIRS(単独メンヒール)」であったと思います。

日本でも 愛媛県生名島メンヒルがMenhir & Stone circleで、よりリアルに多産を表象しています。

農耕とMenhir group

Sesklo culture (Pre.Sesklo culture c. 7,510~6,190BC  Sesklo culture c.6,850~4,460BC)ではアナトリア地方より早くから小麦、大麦が栽培されていたと言われています。ブルガリアの「MENHIR GROUP」と同じ概念を示す、フランス西部のカルナック列石でも「MENHIR GROUP」と「INDIVIDUAL MENHIRS(単独メンヒール)」が同じ場所から見つかっていることから、多産の概念でmenhirを築いていた頃から農耕が始まっていたようです。

ついでながらカルナックで見つかっている「INDIVIDUAL MENHIRS(単独メンヒール)」にもブルガリアと同じ様に、亀頭を表す「打欠き」が認められます。(写真10)

ズールーの概念がバルカン半島で認められるのは「Starcevo culture(c. 6,200~4,500BC)」の中頃で「Vinca culture(c. 5,700~4,500BC)」によって強く現れます。それまでは安産多産の「ヴィーナス」が長きにわたり北アフリカから繰り返し伝播しています。

写真(11)・「Cucuteni-Trypillian culture BC5,500~BC2,750年頃)」の壺絵に「バセンジー犬がジャンプして雨を呼び、作物が育つ。」という北アフリカの考え方が描かれています。その中で「両エンドに雨粒を表す〇を持つ三本線の雲」があります。「水分を含む雲」です。非常に特徴的なこの表象はフランス、ブルターニュの「カルナック列石(Alignuments de Carnac)」 では列石で形作られています。また方形に石を並べ「いっぱいの雨粒・雨」を表す表象もあります。砂漠化が進む北アフリカから北上して来た農耕牧畜民の部族は、「雨乞い」の想いを「列石」で表現しました。

一方ブルガリアでは「方形の列石」が残っています。写真(8)の線で囲った領域です。ブルガリアにやって来た農耕牧畜民は北上途中に通過した「Sesklo culture」の農業痕跡から推測できます。小麦、大麦を作り、羊,ヤギ、牛、豚、犬を家畜化し、日干しレンガの住居を持ちます。これは「Cucuteni-Trypillian culture BC5,500~BC2,750年頃)」に共通しています。つまり「Sesklo 」を通過してブルガリアの低地に居住して、「方形の列石」を残した部族は、「Starcevo culture(c. 6,200~4,500BC)」の東部に取り込まれ、黒海大洪水の後、「Cucuteni-Trypillian culture BC5,500~BC2,750年頃)」の構成部族になったようです。

この部族の残した「方形の列石」、そしてあったであろう「雨」を表す「自然石のStone circle」は「雨乞い」のためであり上部マグダレニアン期の「雨による平衡と豊穣の女神」とは関係ありません。また「板石立石」の「Stone circle」(私はCromlechと呼ぶことにしています。)とも関係ありません。「Cromlech」はまだ現れていません。

 

次は黒海大洪水の後、三型の「巨石文化・Megalithic」がブルガリアに現れます。  

       

(8)MENHIRGROUP(円で囲った場所);MUZEO VIRTUAL ARKEOTIK=VITORIA=GASTEIZ

 

 

(9)カルナック列石(参照(参照2)

;wikipedia

 

(10)カルナック列石近くに立つMenhir  ;wikipedia

 

 

(11)後期ククテニ文化(Cucuteni-Trypillian culture BC5,500~BC2,750年頃)壺絵 西ウクライナ、古ヨーロッパの神々 マリア・ギンブタス(参照)

 

(12)Sesklo culture pottery

(13)Sesklo culture pottery

 

吉備の須恵器にも見られる形状が、Sesklo cultureの土器に現れています。ズールーの概念の存在の証明です。もっと正確な製作年代が知りたいものです。ズールーの概念の成立年代が推定できます。 

 

()バルカンの山脈;Wikipedia

農耕の行われた地域を土地の高低で確認してください。

 



 

 

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